メルビン・マヌーフが引退試合 4度目の対戦でボンヤスキーに勝利
最初の出会いは刑事2人が監視のミット打ち
自身の主催するWFLで引退試合を行ったマヌーフ(左)。ボンヤスキーと4度目の対決となった 【写真提供:WFL】
「もう40歳を過ぎた。やろうと思えばまだ何とかやれそうにも思えるが打撃競技は体の削りあいだ。もう若くはない。これで終わりだ」と、笑いながら語った。
思い起こせば初めてマヌーフに会ったのは、彼がまだチャクリキ所属の頃だった。おそらく今から15年以上前のこと。ジムへ訪問すると、リング内ではミット打ちの最中で、リングサイドには見知らぬ男2人がじっと選手の動きを見つめていた。コーチのハリンク会長も普段と違って言葉数が少ない。練習しているのはスリナム人の小柄な選手だが、何かしら顔が緊張している。スポーツ選手とは思えない私服姿の男2人組は、しばらくリング内のスリナム選手の様子を見た後、おもむろにジムから去って行った。ハリンク会長がつぶやいた。
「刑事さ。メルビンを監視しているのさ」
これがマヌーフとの最初の出会いだった。そのときのマヌーフの右足首にはアンクレットが付けられていた。GPSで居場所を特定するための装置だった。警察から24時間監視されていたのだ。暴力沙汰でしょっちゅう警察に留置されていたマヌーフは、そんなモノまで足首に付けられていたのだ。3カ月、何も問題を起こさなければ外してくれるという。マヌーフの日常の行状や精神状態はかなり厳しいものだった。
“ワル”になることを止めたマイク会長の言葉
キックもできる両刀遣い選手として試合を重ねた。元々はとても明るい性格のマヌーフだが、20代当時は若さゆえの荒々しさが飛び出すことが多く、暴力行動で警察の厄介になることは数知れず。暴力行動や警察と関わる繰り返しは、己の心にすさんだ気持ちを堆積させていった。このまま格闘技を続けるかどうするか、仲の良かったマイクスジムのマイク会長に、ある日マヌーフはこんなふうに相談したという。
「俺はワルになろうと思っている。ヤクザ者になって人生を面白おかしく生きたい。それが自分には一番合うように思う」と。マイク会長はそれを聞いてしみじみ説得した。
「メルビン。お前、今度けんかしたら2年ほど刑務所行きだと警告されただろ? ワルになればけんかしてすぐに刑務所だろ。ムショで2年暮らすぐらいなら俺のジムを刑務所だと思って、2年間俺の言う通りにやってみないか? それからまた考えたらどうだ? 朝から晩までずっとジムにいてもいい。お前には才能がある。選手としてお前は必ず成功するぞ」
マイク会長のこの励ましを受けたマヌーフは、言われた通りに練習に没頭した。マイク会長と日々の語らいを続ける中で落ち着きも取り戻した。新たな気持ちでリングに立ち、イギリスのケージレージで名を上げ、オランダのイッツ・ショウタイムの契約選手となり、日本遠征も果たした。日本でのマヌーフの活躍は関係者やファンなら知っての通りのはず。