新たな歴史が生まれるルヴァン杯 C大阪と川崎、“あと一歩”からの脱却へ

戸塚啓

C大阪と川崎。どちらが勝っても、Jリーグの歴史に新たな1ぺージが刻まれることになる 【(C)J.LEAGUE】

 11月4日の埼玉スタジアム2002で、Jリーグに新たな歴史が刻まれる。

 Jリーグルヴァンカップ2017決勝で激突するセレッソ大阪と川崎フロンターレは、これまで国内3大タイトル(Jリーグ、天皇杯、ルヴァン杯)を獲得したことがない。鬼木達監督のチームが勝利しても、尹晶煥(ユン・ジョンファン)監督を中心に歓喜が弾けても、クラブのショーウインドーに初めてカップを飾るチームが誕生する。

 タイトルに接近した経験は、どちらのチームも持っている。

 川崎は4度目のファイナル進出となる。2000年、07年、09年に決勝まで勝ち上がったが、カップには手が届かなかった。今年1月の天皇杯でもファイナリストを務めたものの、延長戦で鹿島アントラーズに屈している。カップ戦だけではない。リーグ戦でも、深い絶望を何度か味わっている。

 C大阪のクラブ史にも、悔し涙に暮れた瞬間がある。05シーズンには最終節に勝てば優勝という状況の中で引き分けに終わり、リーグ優勝を逃した。天皇杯の優勝セレモニーをピッチから見上げたこともあった。

 彼らはなぜ、歓喜をつかめなかったのか。これまでの両チームに足りなかったのは、「勝者のメンタリティー」かもしれない。

戦術、戦略、采配――すべてを包括する「メンタリティー」

 サッカーの勝敗を構成する要素としては、システムとも呼ばれる戦術の練度、監督采配も含めたゲーム中の戦略、選手1人1人の個人戦術と身体能力などが挙げられる。それらすべてを包括するのがメンタリティーだ。

 キックオフから試合終了まで、シナリオどおりにゲームを進めるのは、どれほど優れたチームでも難しい。自分たちのスカウティングを上回る対応を相手が用意してくることもある。実力が拮抗(きっこう)した一戦ならなおさら、想定外の局面に立たされる。サッカーとは互いの良さをぶつけ合うだけではなく、相手の良さを打ち消す戦いでもあるのだ。

 そこで問われるのは、局面に応じた柔軟な対応であり、打開策を実行へ移す勇気であり、劣勢にくじけない意思である。意思を「ハート」や「気持ち」に置き換えてもいい。

 エース格の選手ひとりが、強い意思を持っているのでは足りない。数人でも勝利には及ばない。11人の意思が1本の糸のように結びつき、もっと言えばベンチ入りのメンバーやスタンドで見守るチームメートも同じ気持ちで戦うことで、揺るぎない意思が形成されていくのだ。

 その強い意思の裏付けとなるのは、成功体験である。

勝者のメンタリティーを脈々と育む鹿島

脈々と勝利のメンタリティーを受け継ぐ鹿島。苦しみを乗り越えた記憶は、チームの財産となる 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 優勝と準優勝では、何が違うのか。タイトルの獲得によって、チームは、選手は、何を手にすることができるのか──。苦しみを乗り越えた記憶は、時代を越えてチームの財産となる。先達と同じ場所でトレーニングを積み、同じユニホームを着ている事実が、成功を知らない世代の胸にも責任感と使命感を宿す。ファン・サポーターも一体となった勢いが生み出され、対戦相手をのみ込んでいくのだ。

 その点、鹿島アントラーズは分かりやすい。

 ブラジル代表として世界の最前線で活躍してきたジーコは、日本リーグ2部からJリーグへ参戦するチームの可能性を、決して否定しなかった。「自分たちにもできる」と日本人選手を勇気づけ、記念すべき開幕初年度のファーストステージ優勝へつなげた。結果をつかんだことで、ジーコの言葉はくっきりと輪郭を帯び、勝利の喜びとともに敗戦の悔しさをも決して忘れないチームが出来上がっていったのである。

劇的勝利にも、すぐに気持ちを切り替えた柿谷

C大阪のキャプテン、柿谷は劇的勝利にもすぐに気持ちを切り替えた 【(C)J.LEAGUE】

 C大阪も川崎も、ここにきてこれまでと違う姿を見せている。

 ガンバ大阪との大阪ダービーとなったルヴァン杯準決勝で、セレッソは敗退の危機に立たされた。ホームの第1戦は2−2のドローで終わっており、アウェーの第2戦は1−1のまま終盤へ向かっていた。このまま試合終了のホイッスルが吹かれれば、アウェーゴール数でC大阪は敗れてしまう。

 だが、アディショナルタイムに相手ゴールをこじ開けた。ドラマティックな勝利に感情を爆発させてもいいはずだが、キャプテンの柿谷曜一朗はすぐに気持ちを切り替えている。

「準決勝の結果に関してはもちろんうれしいですが、ここ(決勝進出)までは、今までのC大阪も何度かチャンスはあった。そこまで喜び過ぎずにしたいと思います」

 自分たちはまだ何も手にしていない。決勝で勝たなければ、大会の歴史に名を残すことはできない。そこまで理解しているからこそ、27歳のキャプテンは表情を崩さなかったのだろう。

 胸に秘めるクラブへの忠誠心が、柿谷の中で揺らぐことはない。「めっちゃ充実していましたよ」というバーゼル(スイス)での日々を断ち切り、16年開幕前に当時J2だった古巣へ復帰したのも、「セレッソが帰ってきてくれと言ってくれているのに、何を迷う必要があるのか」との思いに突き動かされたからだった。「例えばJ2じゃなくJ3だったとしても、帰ってきましたよ。とにかく、セレッソでタイトルを獲りたいです」と続けた。

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著者プロフィール

1968年、神奈川県出身。法政大学第二高等学校、法政大学を経て、1991年より『週刊サッカーダイジェスト』編集者に。98年にフリーランスとなる。ワールドカッ1998年より5大会連続で取材中。『Number』(文芸春秋)、『Jリーグサッカーキング』(フロムワン)などとともに、大宮アルディージャのオフィシャルライター、J SPORTS『ドイツブンデスリーガ』などの解説としても活躍。近著に『低予算でもなぜ強い〜湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地』(光文社新書)や『金子達仁&戸塚啓 欧州サッカー解説書2015』(ぴあ)がある

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