2013年 アジア戦略とレ・コン・ビン<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

ムアントン戦で感じたチャナティップ人気

今季、札幌に加入した「タイのメッシ」ことチャナティップ。アジアのスター選手の獲得は13年から始まった 【Getty Images/J.LEAGUE】

 J1所属の北海道コンサドーレ札幌が、リーグ戦の中断期間を利用してタイのバンコクに遠征したのは、今年7月のこと。現地の強豪クラブ、ムアントン・ユナイテッドFCと22日、フレンドリーマッチを行った。

 この試合の注目は、「タイのメッシ」ことチャナティップ・ソングラシン。チャナティップは前半は札幌、後半は所属していたムアントンの選手としてプレーし、後半のムアントンの決勝ゴールをお膳立てする。スーパースターを送り出した側のムアントン、そして受け入れる側の札幌。双方にとって、思い出深いゲームとなった。

「海外でこういった試合をするのは、札幌にとって初めての経験でした。今回は選手やスタッフだけでなく、タイに進出したいパートナー企業、それから行政の方々にも来ていただきました。あまりサッカーが分からない人でも、現地の熱狂ぶりやチャナティップの人気を目の当たりにして、コンテンツとしてのサッカーの魅力をご理解いただけたと思います」

 そう語るのは、クラブの代表取締役社長CEO、野々村芳和。現役時代はジェフユナイテッド市原(当時)と札幌でプレーした、元Jリーガー社長である。現役引退後、解説者をしながらクラブ経営に参与し、13年より現職。ちょうどJ2に降格したばかりの厳しいシーズンであったが、その先見性あふれるアイデアと実行力で、札幌の経営は目に見えて安定していき、ついに今季は5シーズンぶりのJ1復帰を果たした。

 野々村が社長になって、継続して取り組んできたのがアジア戦略であり、アジアのスター選手の獲得である。元ベトナム代表のレ・コン・ビン(13年)を皮切りに、インドネシア代表のステファノ・リリパリ(14年)とイルファン・バフディム(15〜16年)。そして今季加入のチャナティップについては、「初めてJリーグで実績を残すであろうASEAN(東南アジア諸国連合)出身選手」として注目を集めている。チャナティップ獲得の意図について、野々村はこう語る。

「彼については戦力面以外でも、インバウンド(訪日外国人旅行)やシティープロモーションでの期待がありました。実際のところ、彼が出場することで現地でのコンサドーレの知名度は上がりましたし、北海道を訪れるタイ人も増えるかもしれない。クラブだけでなく、パートナー企業に対しても間接的なメリットを提供できるでしょうね」

当初の目的は「Jリーグのノウハウをアジアに売ること」

レ・コン・ビンのJリーグ参戦は、札幌という地域やサッカー界を超えて、さまざまな方面にインパクトを与えることに 【(C)J.LEAGUE】

「Jリーグ25周年」を、当事者たちの証言に基づきながら振り返る当連載。第9回の今回は、2013年(平成25年)をピックアップする。20年夏季五輪とパラリンピックの開催都市に東京が選ばれたこの年、日本政府は第1回観光立国推進ワーキングチームを設置。ここを起点に外国人観光客は、わずか3年で230%(13年の1,036万人から16年の2,403万人)という驚異的な伸びを見せることとなる。

 こうした時代の流れと軌を一にするかのように、野々村が新社長に就任した札幌は、ベトナムの国民的スター選手、レ・コン・ビンを獲得している。もっとも、レ・コン・ビンが札幌でプレーしたのはわずか半年。ゆえに、彼の獲得を「成功」と断じるのは難しい。それでもレ・コン・ビンのJリーグ参戦は、札幌という地域やサッカー界を超えて、さまざまな方面にインパクトを与えることになった。今回は、札幌のアジア戦略において重要な第一歩となった、13年のレ・コン・ビン獲得にフォーカスする。

 その前に、前年の1月にJリーグに立ち上がった「アジア戦略室」について、立ち寄っておく必要があるだろう。というのも、レ・コン・ビンの獲得とJリーグのアジア戦略は、密接にリンクしていたからだ。ではなぜJリーグは、このタイミングでアジアに目を向けることになったのか。この疑問に答えてくれたのは、アジア戦略室の立ち上げに尽力し、現在はJリーグマーケティング専務執行役員を務める山下修作である。

「まず、外的要因として08年のリーマン・ショック、そして国内の問題として少子高齢化がありました。景気が減速する中、これまでのような放映権料とスポンサー料だけに頼っていくのは危険ではないか。ならば、新たな収入源となり得る三本目の柱は何なのか? ということで、海外から収入を得る方策を考えるようになったのがきっかけでしたね」

 山下がまず注目したのがASEAN諸国。経済発展が著しい上に、潜在的なサッカーファンが多く、国内リーグのプロ化に向けた動きが進んでいたからだ。彼らにJリーグ20年のノウハウを伝授してコンサル料をもらえれば、それなりの収入の柱になるのではないかと山下は見込んだのである。だが、各国でヒアリングを続けるうちに、その考えに変化が生じる。

「というのも、向こうの協会やリーグの偉い人たちは、大臣だったり財閥のオーナーだったりするんです。そういうVIPたちが『私は日本のサッカーについて、もっと知りたい。だからこうして時間を作っている』と、僕みたいなぺーぺーにはっきり言うわけです(笑)。もしかしたら、この人たちとのネットワークをしっかり構築して、Jリーグやクラブのスポンサーにつなげたほうが、むしろいいんじゃないかと考えるようになりました」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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