2013年 アジア戦略とレ・コン・ビン<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

J2に降格した札幌がアジアに目を向けた理由

札幌の代表取締役社長、野々村芳和は就任以来、継続してアジア戦略に取り組んできた 【宇都宮徹壱】

 山下の新規事業プロジェクトが動き出したのが、11年の4月。ところが「Jリーグのノウハウを売ってこようと思います!」と勇んで飛び出したのに、戻ってきたら「ノウハウを売るのをやめます!」。当然、上司は目をむいた。しかし、山下には確信があった。Jリーグのノウハウを売って一時的に儲けるのではなく、無償でノウハウを提供することで信頼関係を構築し、スポンサーや自治体にとってメリットとなるようなネットワーク作りをしていく。そのほうが、絶対にJリーグにとってもメリットになるはずだ──。

 一見すると、確かに遠回りに見える。それでも、Jリーグを介して多少なりとも日本経済に好影響を与えられることができたならば、巡り巡ってJリーグの利益にもなるし、Jリーグの存在意義を高めることにもなる。山下のアイデアは承認され、12年1月にアジア戦略室が設置されることとなった。ただし、こうした動きにJクラブが連動するようになるのは、もう少し先の話。発起人である山下も、まさか札幌が継続的にアジア戦略を推進していくとは、この時は想像もしなかっただろう。なぜなら札幌は、この年に歴代最速でJ2への降格が決定し、経営的にも非常に厳しい状況下にあったからだ。以下、野々村の回想。

「僕が社長に就任して1年目(13年)の強化費は3億円くらい。コンサドーレ史上、最も少ない額でした。そうでもしないと、クラブライセンスがもらえない状況だったんですよね。もちろん、お金がないと試合には勝てない。それは(選手として)現場を経験しているから分かります。だからこそ、どうすれば売上を伸ばして、いい戦力を確保できるのか。社長に就任してからは、そればかりを考えていましたね」

 少し強化費に余裕ができた14年夏には、元日本代表の小野伸二の獲得に踏み切った。戦力としてはもちろん、「若い選手を伸ばすのであれば、伸二と一緒に練習をするのが一番」というのも、いかにも元Jリーガー社長らしい発想であると言えよう。

 その一方で野々村は、「クラブがつぶれない程度に、いろいろなことにトライしよう」という思いから、海外で放映権料を獲得する道を模索する。ちょうど折も折、アジア戦略室の山下が各クラブに「アジアに目を向けるメリット」を説いて回っていた。それなら、ASEANのスーパースターを連れてくるのはどうだろう。Jリーグと協議する中、あるビッグネームが浮上する。祖国ベトナムはもちろん、ASEAN諸国でも最も有名なフットボーラー、レ・コン・ビンであった。

<後編につづく。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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