阿部一二三、世界が驚嘆した柔道の原点 才能に頼らず、努力と挫折で成長した逸材

松原孝臣

挫折が阿部を強くした

リオへの道が絶たれた苦い経験が阿部をさらに強くした 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 だが、その快進撃が止まる日が訪れた。高校3年生で迎えた2015年11月の講道館杯で3位に終わったのである。

 試合後、阿部は涙を流しながら言った。

「負けられないプレッシャーがありました」

 その敗戦は、実は大きな意味を持っていた。グランドスラム東京大会に出られなくなるなどして、実質的にリオデジャネイロ五輪出場の可能性がなくなったからだ。阿部もその重みを知るからこそ、プレッシャーを感じ、敗れたのであった。また、研究されるようになっていたことも大きかっただろう。

 その経験が、阿部を強くした。

 2016年4月、全日本選抜体重別選手権で、一段とたくましさを増した姿を見せる。準決勝で大会後にリオデジャネイロ五輪代表に選ばれることになる海老沼に勝利すると、決勝では講道館杯で敗れた相手を破り、初優勝を遂げたのである。

 2017年になると、2月のグランドスラム・パリ大会で優勝し、全日本選抜体重別選手権で連覇。

 これらの成績により、世界選手権代表となった阿部は、見事、優勝を収め、66キロ級の世界一となった。

「一本を取りに行く柔道を出すことができました」

 一定の手応えを口にしつつ、こう語っている。

「まだ、世界王者に1回なっただけです」

 阿部は野村忠宏の背負い投げを参考とし、憧れてもきた。野村は五輪で3連覇を成し遂げている。それを考えれば、まだまだこれからだ。そう考えているようだった。

東京五輪を未来への第一歩に

柔道界の若きエースに限りなく広がる未来。東京五輪はその第一歩となる 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 小学生の頃から鍛えられた体幹、力に頼らず技の切れで相手を投げられる技術、一本を積極的に取りに行く姿勢――柔道の魅力そのものを体現する阿部は、努力に加え、挫折を糧として成長してきた。いたずらに才能に頼ることなく、それらによって培ってきた土台があるから、表面的ではない真の強さがある。その未来は限りなく広がる。

 まずは第一歩となるのが、2020年の東京五輪だ。阿部自身、「東京五輪へ向けて、努力していきたいです」とはっきりと見据えている。また、妹の阿部詩(夙川学院高)は52キロ級で期待を集める一人となっている。その存在も刺激となっているだろう。 

 兵庫が生んだ、柔道界を担うであろう若きエースは、これからどのように歩み、歴史にどんな記録を刻んでいくのか。

 その足取りから、目を離すわけにはいかない。

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著者プロフィール

1967年、東京都生まれ。フリーライター・編集者。大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後「Number」の編集に10年携わり、再びフリーに。五輪競技を中心に執筆を続け、夏季は'04年アテネ、'08年北京、'12年ロンドン、冬季は'02年ソルトレイクシティ、'06年トリノ、'10年バンクーバー、'14年ソチと現地で取材にあたる。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)『フライングガールズ−高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦−』(文藝春秋)など。7月に『メダリストに学ぶ 前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)を刊行。

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