凱旋門賞は“悲願”である必要はあるのか パラダイムシフトで見る日本競馬の可能性
まずは恒例の大一番から
日本期待のサトノダイヤモンド(右、緑帽)は15着に惨敗した今年の凱旋門賞……なぜ“悲願”でなくてはならないのか 【写真は共同】
しかし、肝心の2頭がそれぞれ15、16着。この結果を寂しく伝えなくてはならないのは仕方がないのですが、敗因について予めわかっている「馬場」とか「枠」などに言及されると、ついつい暗い気分で、「またか」と思わされてしまいます。
勝負は時の運ですから、勝つ時も負ける時もあるのも承知のうえ。挑戦し続けることの意義も認めます。が、経験をベースにした対策を常に考えるのと同時に、客観的な分析も行う必要があるはず。これは出走した陣営に限ったことではなく、日本の競馬界全体として、と思うのです。
そもそも、なにゆえ凱旋門賞が日本競馬の“悲願”とされているのか、ということから見直すことも含めて。
秋のキーワードも“パラダイムシフト”?
ダービー馬レイデオロ(中、緑帽)は秋初戦の神戸新聞杯を快勝(写真は今年のダービー) 【写真:中原義史】
ダービー馬レイデオロが神戸新聞杯で既成勢力、新勢力の挑戦を一蹴すると、当初の予定通りに菊花賞には向かわず、ジャパンCに挑戦することを表明しました。オークス馬ソウルスターリングは今週末の、古馬一線級が揃うGII毎日王冠で秋緒戦を迎えます。ともに従来のローテーションを無視して、まさに「我が道を行く」のスタイルです。
オークス馬ソウルスターリングは古馬相手の毎日王冠で秋初戦、その走りに注目が集まる(写真は今年のオークス) 【写真:中原義史】
それを可能にするのは馬主サイドの理解は勿論、育成スタッフや厩舎のスタッフの対応力。関係者全体に秘められている力量あってこそ、の芸当なのだと思われます。
ただ、主役を務めるべき馬が“王道”のローテーションから外れるわけで、メンバー構成が手薄な印象になるのは否めません。しかしそれは、より多くの馬にチャンスが巡ってくる、ということにもなって、馬券的な興味という点で楽しみが増えることは間違いありません。劇的であるなしに関わらず、パラダイムシフトはいろいろな面に影響を与える、という好例かもしれません。