2004年 最後にして最大のCS<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

単に勝つだけでは満足できなかった岡田武史

岡田によると、04年は単に勝つだけではなく新しいチャレンジをした年だった 【宇都宮徹壱】

「04年? 今から13年前か。あんまり覚えていないから、どこまで期待にそえるか分からないよ(笑)」──そう言って、岡田武史はカラカラと笑う。場所は、今年の4月に引っ越したばかりのFC今治の事務所。もともとタオルの染色をしていたという、自宅兼作業場を譲り受けたという趣のある古民家の一室にて、もう一方のインタビューはスタートした。

 日本代表監督の任を解かれた岡田は、99年からJ2のコンサドーレ札幌(当時)の監督に就任。2年で札幌をJ1に昇格させ、翌年はJ1に残留させる。1年の充電期間を経て03年に横浜FMの監督に招へいされた。日本代表のコーチからいきなり監督に抜てきされ、W杯でも指揮を執るという稀有(けう)な経験をした岡田にとり、J1の名門クラブで指揮を執ることには期するものもあっただろう。しかし1年目で完全優勝した03年は、むしろ反省することが少なくなかったという。

「正直に言うと、1年目は勝つことを優先して優勝したんだけれど、自分自身では全然満足していなかった。確率論という話なら、俺は勝つ確率が高いし、そのためのタスクもうるさいくらい選手に課すわけ。そういう指導をしていれば、選手は舌打ちしながらも、一応はこっちの言うことを聞いて試合にも勝てる。でも、それでいいのだろうか? そうやって勝つことが、指導者としてあるべき姿なのか? そこを悩みましたね」

 誤解を恐れずに言えば、横浜FMのファンやサポーターには「結果がすべて」という気質がある。モダンな戦術やスペクタクルな試合展開よりも、まず求められるのが結果。そんなサポーターに支えられたからこそ、横浜FMは鹿島アントラーズと並んで一度もJ2に降格しない「オリジナル10」になり得たのだと思う。しかし岡田は「このままではダメだ」と結論付けた。

「それで2年目(04年)は、『今までお前たちに求めてきたタスクとか決まりごとはなくす。これからは自分たちで考えてプレーしなさい』と言ったんだよね。そうしたら開幕戦で浦和にホームで引き分け、次のジェフ(市原)戦で負けて、スタートダッシュに失敗した。『これはヤバい』と思って、すぐにやり方を元に戻した(笑)。そうしたら、何とかファーストステージは優勝することができたんだよね」

 ファーストステージは、11勝3分け1敗と圧倒的な強さを見せつけた横浜FM。しかし続くセカンドステージは、6勝5分け4敗の6位に終わってしまう。岡田によれば、「あそこでまた、やり方を変えたり、システムをいじったりした」という。その理由は「何か新しいチャレンジをしないと気が済まないから」。結果として、セカンドステージは浦和が優勝。年間総合順位でも、横浜FMを3ポイント差で上回る1位でフィニッシュした。CS直前の時点では、勢いは明らかに浦和にあったのである。

横浜FMのエメルソン対策と意外な先制ゴール

CS第1戦、浦和のスターティングメンバー。エメルソンはこのシーズンの得点王 【スポーツナビ】

 かくして12月5日、日産スタジアムにてCSの第1戦が行われた。浦和はGKに山岸範宏、DFに田中マルクス闘莉王、中盤に三都主アレサンドロや鈴木啓太や長谷部誠、そして前線に永井雄一郎や田中達也と、現役や将来の日本代表を数多くそろえていた。そして最も注目を集めていたのが、このシーズンの得点王(27ゴール)のエメルソン。指揮官のブッフバルトいわく「ややエメ(ルソン)に頼りがちな面はあったけれど、年齢的にも攻守の面でも、非常にバランスの取れたチームでした」と振り返る。

CS第1戦の横浜FMのメンバー。けがにより主力を欠いていた 【スポーツナビ】

 一方の横浜FMは、最終ラインに中澤佑二と松田直樹、両ワイドにドゥトラと田中隼磨、そしてトップ下には奥大介がいたものの、遠藤彰弘、久保竜彦、安貞桓(アン・ジョンファン)が負傷で使えず、攻撃面で迫力を欠いた陣容となった。試合は攻める浦和、守る横浜FMという構図が基調。後半に入ると、浦和の攻勢がより鮮明となる。もっとも岡田にとって、この展開は織り込み済みであった。

「まともにやったら勝てない。特にエメにボールが渡ったら終わりだよ。あいつを(00年に札幌へ)連れてきたのは俺だから、怖さはよく分かっていた。だから相手にロングボールを蹴らせて、(中西)永輔をエメのマークに付けたんだ。相手が蹴ってくる分には、中澤と松田が跳ね返してくれるから怖くなかったし」

決勝ゴールを挙げたのはDFの河合。1−0で横浜FMが先勝した 【(C)J.LEAGUE】

 この試合、唯一のゴールが生まれたのは後半21分。奥からのCKにDFの河合竜二が頭で合わせて、横浜FMに待望の先制点が生まれる。河合は02年に契約満了で浦和を退団し、翌03年にトライアウトで岡田に見いだされた。「たぶん、河合は俺に感謝していると思うよ(笑)。もちろん起用した俺も、彼には感謝している。今も札幌でプレーを続けているのも、うれしいよね」と目を細めながら、かつての指揮官はそう語る。

 その後の浦和の反撃を振り切った横浜FMは、CSの第1戦を1−0で勝利した。04年以前に行われた過去8回のCSのうち6回で、第1戦の勝者がそのままタイトルを獲得している(残り2回は引き分け)。とはいえ、浦和の爆発的な攻撃力を考えるなら、横浜FMの1ゴールはまったく安心できるものではなかった。「われわれはまだ何も手にしていない」(岡田)、「今日は前半戦を終えたに過ぎない」(ブッフバルト)──当時の報道を読むと、どちらも第2戦に気持ちを切り替えている様子がうかがえる。かくして最後にして最大のCSは、12月11日の埼玉スタジアム2002で、運命の第2戦を迎えることとなった。

<後編につづく。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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