ライバルたちに勝ち続けた“究極の善玉” ウサイン・ボルト伝説の序章と栄光(後編)

山口大介

ジャマイカ国内で成長できたのも伝説の要因

ジャマイカ生まれ、ジャマイカ育ちの金メダリストとなったボルト 【写真:ロイター/アフロ】

 ボルトはジャマイカに初めて100メートルの五輪金メダルを持ち帰る栄誉にあずかったが、実は「ジャマイカ人」の五輪王者はそれ以前にもいる。

 1992年バルセロナ五輪で勝ったリンフォード・クリスティ(英国)、96年アトランタ五輪を制したドノバン・ベイリー(カナダ)はいずれもジャマイカ生まれの移民だ。さらに88年ソウル五輪でドーピング違反で金メダルを剥奪されたベン・ジョンソン(カナダ)はボルトと同じ地域の出身である。

 その他にもジャマイカからは多くの陸上トップ選手が出ているが、その多くは米国留学組だった。

ボルトが練習する大学のグラウンド。練習環境がジャマイカ国内も整ってきている(2012年3月撮影) 【写真:山口大介】

 国内の競技環境が脆弱で、将来を考えても米国への留学が最善の道だったからだ。そんな同国の競技環境に風穴が開いたのが2000年前後。ジャマイカに選手を育成する陸上クラブが次々と誕生したのだ。パウエルや北京、ロンドン両五輪女子100メートル連覇のシェリーアン・フレイザープライスが所属する「MVP」や、ボルトやヨハン・ブレークのいる「レーサーズ」である。

 父ウェズリー氏によると、ボルトにも米国だけでなく、デンマークやドイツからも奨学金のオファーがあったという。ただ、父子の考えはジャマイカにとどまることで一致していた。

「ウサインも寒いのは苦手で米国は嫌がっていた。米国に渡って必ずしも大成しない選手を見てきたし、トレーニングも詰め込みすぎて大成する前に燃え尽きてしまう子もいるのを知っていた」

 ジャマイカ生まれのジャマイカ育ち、という意味でボルトは新世代の選手だった。あの自由奔放でファンを楽しませるパフォーマンスは、カリブ海の明るい太陽とレゲエミュージック独特のリズムが生んだと言っても過言ではない。米国の伝統的なエリート教育では個性もつぶされていたかもしれない。ボルト自身もアイデンティティには強烈な自負を抱いていたし、世界を魅了した理由の一つに、小国から世界の頂点に上り詰めたストーリーがある。五輪の花形競技で小さな島国が超大国を打ち砕く痛快さも、ボルト人気を高めた一因といえよう。

ライバルの存在と“ドーピング”の関係

数々のライバルたちに打ち勝ってきたボルト 【写真:ロイター/アフロ】

 また、ボルトには常に好敵手がいた。北京五輪から翌年のベルリン世界選手権はゲイとパウエルがそうだった。11年韓国・テグ世界選手権から12年ロンドン五輪までは同じ陸上クラブの後輩ブレークが挑戦状をたたきつけてきた。そして13年モスクワ世界選手権から今に至るまではベテランのジャスティン・ガトリン(米国)が打倒ボルトに執念を燃やし続けている。

 上記の4選手には、ある共通項がある。

 罪の大小はともかく、いずれもドーピング違反で出場停止処分を受けた過去がある点だ。なかでもアテネ五輪、ヘルシンキ世界選手権で100メートルを連覇したガトリンは、06年に2度目のドーピング違反が発覚し、4年間のサスペンドを受けている。

 陸上競技に向けられた懐疑的な視線の中で、ボルトはクリーンなアスリートの代表としての重責も背負ってきた。あえて善玉、悪玉というプロレス的な役回りをあてはめるとすれば、ボルトは“究極の善玉”という役回りを担い続け、その期待に応えるかのように勝ち続けてきた。

 かつての短距離界のスーパースター、カール・ルイス(米国)がジャマイカ勢のドーピングについて疑いの目を向けるような発言をした際は、「彼を尊敬していない」と怒りをあらわにした。後にチームメートの違反が発覚し、北京五輪4×100メートルリレーの金メダルを剥奪される憂き目に遭ったが、ボルト自身のクリーンさに疑いが向けられることはなかった。

 脊柱側湾症という持病に加え、加齢による故障とも戦いながら、100メートルと200メートルの五輪3連覇を達成した。五輪と世界選手権で獲得した金メダルは実に19個。おそらくは今後同じレベルの選手は2度と出ない不世出のスプリンターだろう。サニブラウン・アブデル・ハキームら多くの選手がボルトへの憧れを口にするように、後の世代に与えた影響やスポーツ界への貢献は計り知れない。全盛期の走りはもはや期待するのは難しいが、勝負強さはいまだ健在だ。

 どんなフィナーレを飾るのか、世界がラストランを固唾(かたず)をのんで見守るだろう。

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