2010年 イレブンミリオンの遺産 シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

「新規ファン」と「女性ファン」の獲得という課題

今季の横浜FCの開幕戦にゲストとして招かれていた足立梨花。女子マネを「卒業」した今でも、Jリーグファンの間で「あだっちぃー人気」が衰える様子はない 【宇都宮徹壱】

「当時は高校生でしたから、制服姿で(各スタジアムを)回っていましたね。実は最初、カズさん(三浦知良)のことも知らなかったんです(笑)。私、ぜんぜんサッカーのこと知らないけど、大丈夫かなーって。それでも引き受けたからには、まずは勉強しようと思って、日産スタジアムで横浜F・マリノス対セレッソ大阪を見たのが最初でしたね」

 屈託のない笑顔でそう語るのは、女優でタレントの「あだっちぃー」こと足立梨花である。「当時」というのは、『Jリーグ特命PR部女子マネージャー』に任命された2010年4月のこと。早いものであれから7年以上が経過し、制服姿の女子高生は大人の雰囲気を感じさせる人気女優へと成長していた。

 それにしても7年前には「カズさんのことも知らなかった」彼女が、ちょうどカズの50歳のバースデーだった今季の横浜FCの開幕戦にゲストとして招かれていたのも、今となっては感慨深い。キックオフ前にニッパツ三ツ沢球技場を笑顔で一周した彼女には、横浜FCのサポーターのみならず、対戦相手である松本山雅FCのサポーターからも「あだっちぃー、お帰り!」という温かい声援が発せられた。13年1月に女子マネを「卒業」してから4年半が経つが、今でもJリーグファンの間で「あだっちぃー人気」が衰える様子はない。

2010年Jリーグは「特命PR部女子マネージャー」というポストを新設し、足立が任命されることとなった 【(C)J.LEAGUE】

「Jリーグ25周年」を、当事者たちの証言に基づきながら振り返る当連載。第6回の今回は、2010年(平成22年)をピックアップする。前述したとおり、この年に「Jリーグ特命PR部女子マネージャー」というポストが新設され、当時はまだ無名と言ってよい存在だった足立が任命されることとなった。一方でこの10年という年は、Jリーグ公式戦の年間入場者数を1100万人にすることを目標に掲げた『Jリーグ イレブンミリオンプロジェクト』の最終年にも当たっていた。

 もっとも一般的なサッカーファンにとっては、イレブンミリオンの結果よりも、この年に女子マネとしてデビューした足立の存在のほうが印象に残っていることだろう。そもそも「Jリーグ特命PR部」とは、イレブンミリオンの一環として、メディアの露出を高めて新規ファン(特に女性ファン)の開拓を目的としたプロジェクトであった。この「新規ファン」と「女性ファン」の獲得は、その後もJリーグにとって打開策の見えない課題であり続けている。その起点となった年こそ、今回取り上げる2010年であった。

4年間で観客数を24%アップするために

イレブンミリオンの誕生について、当時Jリーグのチェアマンだった鬼武健二は「ある会議で『サッカーは11人でやるんだから、イレブンでいこうや!』と言った」と述懐する 【宇都宮徹壱】

 イレブンミリオンの誕生は、第3代Jリーグチェアマンであった鬼武健二の「イレブンでいこうや!」のツルの一声で決まった。鬼武の任期は、06年7月から10年6月まで。イレブンミリオンは07年から10年までの4シーズン。両者はほとんど重なっていた。プロジェクトのネーミングが決まった経緯について、鬼武はこのように回想する。

「当時(06年)の来場者数は、いくら足し算をしても900万人くらいしかならなかったんですよ。なかなか1000万にも届かない。そこで、ある会議で『でもなあ、サッカーは11人でやるんだから、イレブンでいこうや!』と言ったのは覚えていますよ」

 実はJリーグにとって、具体的な数値目標が設定されたのはイレブンミリオンが初めてであった。もっとも、いくら「サッカーは11人でやるから」といって、1100万人という設定はいささか突飛すぎたようにも感じられる。鬼武がチェアマンに就任した06年の実績が839万256人。目標の76%である。4年間で観客数を24%アップするというのは、かなり厳しいミッションであると言わざるを得ない。実際、当時を知るJリーグのスタッフも「頑張って背伸びをしようという感じはありましたね」と語っている。

 とはいえイレブンミリオンは、単にJリーグが「各自の努力で観客数を増やせ」と、各クラブの尻をたたいていたわけではない。のちに公開された資料によると、観客数24%増のためのアクションフローは、じっくりと腰を据えたものであり、なおかつ非常に大掛かりなものであったことが分かる。07年以降の主だった施策を抽出すると、イレブンミリオン公式マーク公募(決定は08年)、海外研修(欧州2回、米国1回)、J2クラブスタッフのJ1クラブ視察、観戦者調査など、かなりの予算がつぎ込まれていたことが分かる。また大掛かりなプロジェクトゆえ、地域やカテゴリーを超えたクラブ間での情報共有がなされた点も見逃せない(それ以前のJリーグでは、ほとんど見られない動きであった)。

 かくしてJリーグによる予算投下と各クラブの努力により、入場者数は年々伸びていくことになる。07年が887万8378人、08年が910万4221人、そして09年が957万1079人。ついには達成率87%にまでこぎ着けた。もっとも09年に関しては、試合数が過去最多の839試合となっていた事実は留意すべきだろう(08年は698試合)。これは18チームとなったJ2が、3回戦総当りを行ったためだ。ちなみに翌10年のJ2は、19チームの2回戦総当りとなり、総試合数は717試合に減少している。

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著者プロフィール

宇都宮徹壱

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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