「覚悟」が人を変える、28歳杉田の優勝 きっかけの場所ウィンブルドンへ――

内田暁

優勝後、すぐにウィンブルドン会場へ「飛行機では眠れなかった」

ツアー大会初優勝を決め、芝コートに倒れ込んで喜ぶ杉田祐一=アンタルヤ 【共同】

 日に焼けた精悍(せいかん)な横顔が、酷暑の中で重ねてきた、激闘の数々を物語る。

「こっち(ロンドン)に着いたのは、今朝の5時半くらいで……」

 トルコ開催のATPツアー“アンタルヤ・オープン”でツアー初タイトルを手にした杉田祐一(三菱電機)は、歓喜の瞬間の数時間後には飛行機に飛び乗り、ウィンブルドンを目指していた。

「飛行機の中では、眠れなかったですね。いろいろと……興奮もあり」

 恥ずかしそうな笑みを口元に浮かべ、彼は「眠いっす」と目をこする。それでも優勝から一夜明け、ウィンブルドン選手権会場に足を踏み入れた今の気持ちを問われると、彼は表情を引き締めて即答した。

「会場に入ると、やはり気持ちが変わる。ここで勝負しなくてはいけないという思いがあるので……ここに来ると、グッと引き締まりますね」

 28歳にして杉田がつんだツアータイトルは、さまざまな“初”に彩られる記念碑的な栄冠でもある。
 一つはもちろん、これが杉田にとりキャリア初タイトルであること。また、アンタルヤ・オープンは今季から新設された大会のため、杉田が初代チャンピオンとして大会史に名を刻んだ。さらには、杉田は4週間前にイギリス・サービトン開催のATPチャレンジャー(ツアーの下部大会)でも優勝したため、“同じシーズン中に芝のコートで、チャレンジャーとATPツアーの両方を制した史上初の選手”にもなった。これは今の杉田が、目もくらむほどの猛スピードで成長している事実を、何より顕著に示す記録だ。

羨望と覚悟 2016年に得た経験

シングルス決勝でショットを放つ杉田祐一=アンタルヤ 【共同】

 そんな彼の今に連なる大きな一歩は、1年前の、このウィンブルドンで踏み出したものである。

 いや……正しくは“ウィンブルドン”ではない。昨年の杉田は、“聖地”から5キロほど離れたローハンプトンという町で、予選を戦っていたからだ。ウィンブルドンはグランドスラムの中でも、予選と本戦の会場が異なる唯一の大会。予選選手は本選会場の門をくぐることすら許されぬ厳格さが、この大会の伝統と格調を屹立(きつりつ)させる。

「素晴らしいものとなった」
 昨年予選を終えた杉田は、彼にとっての2016年ウィンブルドンを、そのように総括した。結果だけ見れば、予選1回戦敗退であったにも関わらず……である。しかも敗れた相手は、世界772位の選手。プロのキャリアを半ば諦め、地元のクラブでコーチとして働く25歳であった。

 その苦労人は、杉田に勝ったことがブースターになったかのように、予選を勝ち上がると本戦でも初戦を突破する。そして2回戦では、世界中のテニス選手が憧れる聖地のセンターコートで、芝の王者ロジャー・フェデラー(スイス)と相対したのだ。
“ウィンブルドンの奇跡”――マーカス・ウィリス(イギリス)のシンデレラストーリーは、そんな修辞で語られた。

 そのウィリスに予選で敗れた現実から、杉田は、多くを得たという。
 ひとたびコートに立てば、それまでの足跡もランキングも関係なく、両者ともにまっさらな「白紙」の上で戦うこと。

 それこそが、スポーツの素晴らしさであること。

 そして「覚悟」が、人を変えうること――。

 自分を下した選手が、フェデラーと戦う姿に羨望(せんぼう)の目を向けながらも、彼はウィリスの活躍を心から祝福した。そうして、自らに誓ったという。

「今度は、自分が……」と。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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