サッカー“ヘタクソ代表”三木健の挑戦 欧州で奮闘する異色の左SBが目指すもの
欧州で必要だった適応力
欧州で戦い続けているが、近年は下部リーグでプレーしている(三木は28番) 【写真提供:三木健】
「国によってサッカーが違うので、いかに合わせられるかが大事でしたね。たとえば、日本人はディフェンスラインの上げ下げが細かいけれど、向こうではそこまで細かくはやりません。横を見ながら大体で合わせるイメージなので、ストレスを感じることが多かったです。
日本だとSBがオーバーラップしたらボランチがカバーに入ったり、ポジションをずらしていくんですけれど、そこを空けてやられたら僕のせいなんです。だから迂闊(うかつ)に上がれなくて、(ボールが来る確率が)五分五分でも上がれないくらいです。上のレベルにいけば気が利く選手がいっぱいいると思いますけれど、僕がやっていたチームにはそういう決まりがなかった」
攻撃力が武器の三木にとって、オーバーラップは絶好のアピールの場となる。海外では助っ人外国人という立場になるので、得点に絡むプレーが必要だ。しかし、上がるタイミングを誤れば、逆に大きく評価を下げることにもつながってしまう。ハイリスク・ハイリターンな賭けを90分のうちに何回、どのタイミングで仕掛けるか。三木は戦況を見極め、その精度を高めていった。「時には我慢することで評価される」ことを知り、SBとして自分ならではのアピール方法を学んでいった。
コミュニケーションの部分でも適応は欠かせない。欧州へ渡った時点で日常会話程度の英語は喋れたが、行く先々で現地の言語取得にこだわった。今では日本語を含めて5カ国語を操る。
「英語が喋れれば、最初の1〜2カ月は問題ないんです。ただ、数カ月が経つと、彼らも完全に英語が喋れるわけではないので話すネタに困ってくるし、飽きてくるんですよね。自国の言葉を喋れない日本人に対して、仲間意識が薄れてくるというか、だんだんと距離を感じるようになります」
こういう道もあることを示したい
三木は行く先々で現地の言語を取得し、ピッチ外でも適応していった 【写真提供:三木健】
「CLやELに出たいという気持ちはもちろんですけれど、ボスニア時代にたまたま点を取れたことがあったんです。そのときに、嫌なことがすべて吹き飛んだというか……。1年間のうち364日にあった嫌なことが、その日のたった1ゴールで吹き飛んでしまった。もっとやりたい、もっと上に行きたいなという欲求が素直に出てきました。自分は単純にサッカーが好きなんだなと(気付いた)。それが一番ですね」
スロベニアで観たELの景色も忘れられない。
「(試合前の)アンセムを聞き、欧州の満員のスタジアムをリアルに感じたくて観に行きました。もし自分があそこに立っていたらと思うと鳥肌が立ちました」
サッカー“ヘタクソ代表”を自称する三木だが、小学校では一番うまい選手だった。ただ、幼いころから黙々と練習するタイプであり、あまり監督に気に掛けてもらえなかった。その経験から「自分はどこか評価されていないんじゃないか」と感じ、「見返したい」「誰かに評価されたい」と強く思うようになった。前例のない道なき道を歩むこと、そして日本人のほとんどいない国で、自分が日本人の代表かのように見られる環境にやりがいを感じている。
「こういう道もあるんだよというか。(ブルガリアでプレーする)加藤恒平選手じゃないですけれど、東ヨーロッパという道もあって、サッカーをする環境があるんだということを示したいんです」
三木は来季に向けて「まずは1部でやらないと話にならない」と語り、「この1年で進展がなければ終わり」と自らプレッシャーをかけている。少しでもステップアップし続けるために、新たな道を切りひらくために、欧州での挑戦を続ける。
(取材・文:豊田真大/スポーツナビ)
三木健(みき・たけし)
【スポーツナビ】
これまでアルビレックス新潟シンガポール(シンガポール)→ロッブリーFC(タイ)→スパンブリーFC(タイ)→FKウニス・ボゴシュチャ(ボスニア)→FKスロボダ・トゥズラ(ボスニア)→NKストゥープニック(クロアチア)→NKヴァル・カシュテル・スターリ(クロアチア)と海外を渡り、昨シーズンはNKクルカ(スロベニア)でプレーした。