2000年 ネットメディア勃興期<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

幻に終わったイサイズとスポーツナビの合併プラン

スポーツナビとイサイズを合体させて、巨大なスポーツサイトを作ろうという提案があったと、霜越隼人が明かす 【宇都宮徹壱】

 かくして、ブラジルの5回目の優勝に終わった2002年のワールドカップ(W杯)の閉幕をもって、旧『スポーツナビ』を運営していた株式会社スポーツ・ナビゲーションは清算、『ISIZE SPORTS』(以下、イサイズ)もサイトを閉じることとなった。もちろん、誰ひとりとしてこの決定に納得した者はいなかっただろう。新たなミレニアムに誕生した、インターネットという新たな地平線。その発展性と可能性を模索していた人々にとり、2年という期間はあまりに短すぎた。実はW杯開幕直前、「最後の抵抗」とでも言うべき、知られざる動きがあったことを、当時イサイズのプロデューサーだった霜越隼人が明かしてくれた。

「あれは02年の春先だったかな。スポーツナビとイサイズを合体させて、巨大なスポーツサイトを作ろうという提案があったんです。リクルートが資本に入って、私が社長、広瀬(一郎)さんが副社長でいきましょうという、かなり具体的な話まで進んでいたんです。なんでポシャったかというと、リクルートは現金がほしい、けれども向こうは『株を渡すから』みたいな感じで決裂したようです」

 非常に興味深い証言である。が、水面下で進んでいたこの合併話は、現場レベルで考えても無理筋な話であった。その理由は、「僕はいい加減な性格ですし、広瀬さんは理詰めの人だから、絶対にうまくいっていなかったと思いますよ(笑)」という霜越の言葉が、最も正鵠(せいこく)を射ていると言えよう。かくしてスポーツナビとイサイズの当事者たちは、それぞれのコネクションとノウハウを生かしながら、独自の生き残り策を模索していくこととなる。

「(株主だった)電通さんと三菱商事さんが、ありがたいことにスポーツナビの名前を残そうということで意見をまとめてくれたんです。そんな中、ヤフー株式会社にもスポーツナビを買ってくれませんかという話がいった時、それに反応してくれたのが現社長の宮坂(学)さん。宮坂さんは当時、Yahoo!スポーツの責任者だったんですが、ページビューでは旧『スポーツナビ』に圧勝しても、W杯の広告企画では勝てなかったんですよね。そういった経緯があったので、『スポーツナビ、侮れないぞ』という思いがあったみたいです」(元スポーツ・ナビゲーション取締役・本間浩輔)

「イサイズ時代のメンバーを何人か集めて、02年にSEA(株式会社スポーツエンターテイメントアソシエイツ)という会社を作りました。そこで何をやったかというと、Jリーグのファンサイトのリニューアル。99年にNHK情報ネットワークさんが『J−Ole!(ジェイ・オーレ)』というファンサイトを作って、ゴール動画を配信したり、日々野真理さんがチャットでユーザーとやりとりしたりしていたんです。なかなかよくできたサイトだったんですが、00年からNTTさんが担当するようになって、名前も『J's GOAL』に変わりました。ところが有料課金サイトにしたこともあって、会員が一気にいなくなってしまったんです。それを何とかしてほしいという依頼でした」(霜越)

Jリーグ情報で明暗を分けたJ's GOALとスポーツナビ

J's GOALがJリーグファンのコミュニティーサイトとして発展していくなか、スポーツナビのJリーグ関連のコンテンツは充実していたとはおよそ言い難い状況が続いた 【(C)J.LEAGUE】

 かくして02年8月8日、スポーツナビがヤフーの100パーセント子会社としてその傘下に入ることが発表された(新しい社名はワイズ・スポーツ株式会社)。そして翌03年5月6日、J's GOALが装い新たなに再スタートを切ることになる。ミレニアムの変わり目に、相次いで広瀬一郎から声をかけられた本間と霜越は、今度はYahoo!スポーツとスポーツナビ、J's GOALのプロデューサーとして、再び切磋琢磨(せっさたくま)を続けることとなる。

 霜越は当時、新体制となったスポーツナビについて「ヤフーさんは数字に厳しい会社だから、広瀬さんが社長だった時代のような尖ったものは作りにくくなるんじゃないかと思いましたね」と振り返る。かく言う霜越には、イサイズ時代に培ってきた経験値と、予算をかけずにファンに訴求するコンテンツ制作には絶対の自信を持っていた。実際のところ、当初から物量的に勝っていたのはスポーツナビ。しかしJリーグの情報発信については、公式ファンサイトであるJ's GOALに大きなアドバンテージがあったと霜越は言い切る。

「当初、ウチもそれほど予算がなかったので、最初は各クラブからのリリースをどんどんアップしていく方針を採りました。それから試合の速報。それもただスコアを見せるだけでなく、のちのTwitterみたいにメッセージが書き込めるような形にしたら好評でしたね。あとは独自取材。実はイサイズ時代から、J2に関しては番記者制度を導入していたんです。そのネットワークを発展させる形で各クラブに番記者を置いて、プレビューやレビューも充実させていきました」

 J's GOALがJリーグファンのコミュニティーサイトとして発展していくなか、スポーツナビのJリーグ関連のコンテンツは充実していたとはおよそ言い難い状況が続いた。その理由のひとつは、Jリーグがネットメディアの取材を原則的に認めていなかったこと。この状況は、実は現在も基本的には変わっていない。なぜ、Jリーグはネットメディアの参入を拒み続けたのだろうか。たびたびJリーグ上層部との折衝に当たった本間は、当時の状況を考えると「仕方がなかった」と振り返る。

「ひとつには、ネットメディアに脅威を抱く既存メディアに対して、Jリーグが気を遣ったというのがあったと思いますね。それともうひとつ、仮にスポーツナビにパスを出したとして、当時の僕らの体制ではJリーグの全試合を取材することが不可能だったこと。実は一時期、地方スタッフを採用して番記者制度を作ることも考えたんです。結局、できなかったんですが。ただし、当時のJリーグの判断は、僕は間違っていなかったと思います。月に数回、美味しい試合だけ取材に行くようなスタンスは、全体のバランスを見なければならないJリーグとしては、あり得なかったでしょうね」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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