9秒台に必要な“3つの動作”はほぼ習得 桐生ら3強の走りはどう進化したか

高野祐太

“壁”を突破するための3つの動作

偶然性を帯びていた9秒台突入だが、少しずつ必然性が増してきている 【写真:ロイター/アフロ】

 ところが、9秒台へのカウントダウンが始まるに至って偶然性は反転し、“10秒00の壁”を突破する必然性がジワリと浮かび上がってきている。

 というのは、彼ら3人のこの1年の進化で、専門家が「9秒台で走るスプリンターにできていない選手はいない」と指摘する動作の技術が磨き上げられつつあるからだ。「できていない選手はいない」ものとは、言い換えれば、「9秒台を出すための必要条件」のことであり、「9秒台のための必然性」ということにもなる。桐生を指導する土江寛裕コーチが織田記念の後に「9秒台が出るかどうかの議論はもう過ぎている」と語っているが、それは「桐生は9秒台のための必然性を既に手にしている」という見解の表明だったのだ。

 では、その必然たる動作とは何か。簡潔にいくつかの要点だけを挙げるならば、
(1)「重心の真下を押す(踏み込む)」こと
(2)「はさみ込み」動作
(3)「無駄な力を入れず、脱力する」こと
といったものだ。

(1)は物体を押すときには直角に圧力を加えるのが最も効率が良いという、至極まっとうな理屈による。だが、高速で動作している最中にピッタリのタイミングで正確に実現するのは極めて難しい。
(2)は片足が接地(=地面に接すること)している時点で逆の脚が早くも追い抜くほど前に出ている動作のこと。この高速の脚の運びができていることは、脚が後ろに流れずピッチが速いことの証明だし、はさみ込んでいる脚の反作用で接地した脚が強く地面を押せることにもなる。
(3)はブレーキをかけながらアクセルを踏むような動作は無駄にほかならないということ。だが、これほどスポーツにとって難しいことはない。(1)〜(3)のいずれも「エネルギー効率を最大化する」という物理学の合理性に合致する技術だ。

3人ともに“必然性への接近”が垣間見える

一段階上のレベルを走るために「脱力」を意識し始めているケンブリッジ。9秒台へ突入したとき、彼らが必要条件を満たしたことが証明される 【写真は共同】

 今季の桐生は上体が反ってしまう欠点を改善し、「力を入れずに最後までぶれずに伸びている」などの良い感触を語っている。土江コーチも「10秒0台だった国内2レースは、どちらも重心がピッタリ合っていた」と分析した。これらは、「9秒台のための必要条件」の技術にアクセスしていることを物語っている。

 理論派の“哲学者”山縣は、上記のようなことを高校時代からずっと考え続け、試行錯誤してきた。「蹴るのではなく前に前に」「体の芯を作って接地」「力を抜いて空中分解しない」……。そして、昨年のリオ五輪を経て、それらすべてを集約するように「走りのイメージが進化しました」と言う。そのイメージとは「3歩前のごみを拾いに行く感じ。前だけを見て走る感じ」。これを現実化した走りができるときが待ち遠しい。

 この春、ケンブリッジは「高いレベルに達した今、さらにトップスピードを上げるために脱力は一つの要素になるか」との問いに対し、「はい」と肯定した上でこう続けた。「力む走りはだいぶなくなってきたかな。(300、400メートルなどの)ロングスプリントを練習するときに、力んでいると最後まで持たなくなる。(効率的な)走り方が分かります」。彼の手応えでも、必要条件が満たされつつある。

 三者三様の必然性への接近が垣間見える。これらの必然性の断片は、現実に“壁”が突破されたときに、より鮮明に見えてくるはずだ。そのときが待望される。

 まずは、21日に開催されるゴールデングランプリ川崎のケンブリッジ、25日からの関東インカレの桐生に注目したい。

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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