地震から1年――熊本ヴォルターズの今 逆境から立ち上がり、B1昇格を目指す
喜びも苦しみも、共に過ごした益城町総合体育館
地震から1年。熊本ヴォルターズは今、B1昇格に向けた山場となる戦いを迎えている 【素材提供:(C)B.LEAGUE】
しかし2016年4月14日を境に、チームを支えてきたホームアリーナは大きく変貌した。
観測史上、初めて震度7を2度記録した「熊本地震」。その激震が起こった場所が益城町だった。町内ほとんど全てとなる1万棟以上の家屋が損壊、体育館には避難者があふれた。
10月末に避難所としての機能が閉鎖され、使用されなくなった体育館は今、閑散としている。それでも入り口の地面は隆起し、駐車場には至る所に地割れが走り、地震の爪痕が色濃く残る。体育館の今後の整備については、解体も視野に検討が進められている。
B1昇格に向けた山場となる戦いを前にこの日、思い出の体育館に足を運んだ選手たち。いつも使っていたホワイトボードにこんな言葉をつづった。
「成長させてくれてありがとう!」
「たくさんの感動をありがとう!!」
「また帰ってくるから!! 共に!! 前へ!!」
選手たちが言葉をつづったホワイトボード 【写真提供:熊本ヴォルターズ】
「人生が変わりましたよね、人間として大きく成長させてもらった場所。バスケットの思い出というより、地震の後の皆の大変さだったり、生きていくための必死さが毎日続いていた、あの日々しか今は浮かばないです。偽善者ぶっているという人もいるかもしれないけれど、あの時はなりふり構わず人のために動ける人間になりたかった」
たった5人でスタートした新シーズン
チーム始動のとき、熊本は選手5人と保田ヘッドコーチ(右から3番目)だけだった 【写真提供:熊本ヴォルターズ】
そんな彼らの活動には全国のバスケットファンから共感が集まった。それでも当時の熊本は、地震の影響で、普段の生活さえままならない人々が数多くいた。スポーツどころではない状況の中、果たしてバスケットが被災地の力と成り得るのか――。
新シーズンへの道のりは平坦ではなかった。昨年5月末のコラム(※)でも書いたように、球団は5月1日、チームが存続危機にあることを発表した。シーズン途中で終了したことで目先の資金繰りが悪化。スポンサーの多くが被災したことから、来季に向けた営業収入の見通しもたたず、選手たちへの報酬の支払いが遅延した。
後に当時のNBLから支援を受け、報酬の支払いは何とかできたものの、球団の営業活動は地震から1カ月を待って開始され、大口スポンサーを手始めに契約継続のお願いに回る中、選手との契約交渉は6月から始まった。
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始動会見の様子。キャプテンの小林(左)は並々ならぬ決意を語った 【写真提供:熊本ヴォルターズ】
特に「ミスターヴォルターズ」と呼ばれる熊本出身のキャプテン、小林の決意は並々ならぬものだった。
「チームがつぶれて行く先がなくなっても、それが自分のバスケットの寿命だと思っていました。これで引退しようと。自分が背負ってこのチームを立ち上げていく、熊本も立ち上がっていく、これを背負えなかったら終わりだなと思っていました」
GMの西井辰朗はこう振り返る。
「7月1日に始動できたのは奇跡だと思います。残ってくれた5人には感謝だし、選手編成はこの5人がいなかったら成り立たなかった。“この5人で戦おう”というところからスタートしているので、まずはこの5人の提示額は昨シーズンから落とさないように担保し、残りの予算で選手編成を考えました」
残った5人は今やチームの主力だ。特にポイントガードの古野は第26節終了時点で、B2のアシスト数とスティール数でトップを走っている。その後に加入したメンバーについても、電話などではなく、直接交渉にこだわった。それぞれの選手の活動拠点に赴いて、球団の厳しい現状も説明しながら交渉を行っていったという。そうしてチームは2016−17シーズン、飛躍の年を迎える。