忘れられた女子クラブとJヴィレッジの再開 東日本大震災から6年、元マリーゼGMの回想

宇都宮徹壱

「なでしこのW杯優勝」を見るのが辛かった理由

鮫島彩は東日本大震災の後、ボストン・ブレイカーズに移籍した 【写真は共同】

 ご存じのとおり、震災と原発事故の影響でマリーゼは活動休止となり、その年のなでしこリーグも参加を辞退しました。当初は「マリーゼが復活するまで(チームに)残ります」と言ってくれる選手は多かったんです。ただし私自身は、Jヴィレッジの状況や東電の置かれた立場を考えると、マリーゼの復活は難しいだろうと思っていました。

 だからこそ、まずは鮫島の練習環境を何とかしなければならないと考えました。その年のW杯のメンバーに、彼女が選ばれることが確実でしたから。そこで、とあるJクラブにお願いして練習させてもらい、さらにボストン・ブレイカーズ(米国)に送り出しました。Jクラブでの練習については、実は公にしていません。東電の社員を受け入れてもらうのは、当時はかなりリスクがありましたから。

 鮫島以外にも、上辻(佑実)はアルビレックス新潟レディースに、山根(恵里奈)はジェフ千葉レディースに移籍しました。田原のぞみと斉藤あかねは浦和レッズレディース、日テレ・ベレーザにも長船(加奈)らを受け入れてもらいました。みんな、すぐにサッカーがやりたいという気持ちはあったものの、ここを離れて他のクラブに移籍することに躊躇(ちゅうちょ)があったと思います。ですから、移籍を決断するまで4カ月くらいかかった選手もいましたね。加えて当時は「東電の選手でした」とは言いづらい雰囲気もありましたし。

 その一方で、他のクラブに移籍せずに、高校のグラウンドを借りながらトレーニングを続けていた選手たちも10人くらいいました。「このメンバーでまたサッカーをやりたい」という思いが、彼女たちのモチベーションになっていたと思います。当時の正木(裕史)コーチがいろいろと尽力してくれて、結局、彼女たちは8カ月以上、どこにも属さずに人知れず練習を続けていました。その後(12年に)ベガルタ仙台が移管先となり、彼女たちはベガルタ仙台レディースのメンバーとして、再びプレーする場が与えられることになりました。本当にありがたい話でしたし、彼女たちの努力が無駄にならなくて良かったと思っています。

 なでしこのW杯優勝ですか? 実は(ライブでは)見ていないんですよ。なぜかというと、目先のことで手いっぱいで、相当に忙しかったんです。それに自分たちの現状と、あまりにもかけ離れているというか……。エゴなのかもしれないですが、なでしこの活躍が眩しすぎて、見るのが辛いという気持ちもありましたね。マリーゼのGMの肩書は、その年の9月でなくなりました。その後は特に定職もなく、週末に中学生年代の女子の指導のお手伝いをするくらいでしたね。現職に就いたのは13年の7月ですから、それまで2年近くブラブラしている時代が続きました。

Jヴィレッジ再開に向けての課題とは?

現在のJヴィレッジ。計画では、18年の7月までに一部施設を再開させ、19年4月までには全面再開させる予定となっている 【宇都宮徹壱】

 最近、東京電力の石崎(芳行)副社長が、「マリーゼを復活させたい」と発言していたという報道がありました。どうなるか分かりませんが、Jヴィレッジの再開については順調に進んでいるという手応えを感じています。13年の9月に東京五輪開催が決まったのが、大きな追い風だったのは間違いないです。それに加えて、(JFA)前会長の大仁さんはJヴィレッジに思い入れのある方でしたし、現会長の田嶋(幸三)さんも福島にアカデミーを作った方です。この地にゆかりのある会長が2代続かなかったら、Jヴィレッジを再開させるという流れにはならなかったかもしれないですね。

 計画では、18年の夏までに一部施設を再開させて、19年4月までには全面再開させる予定です。原発事故後、Jヴィレッジは東電の前線基地となっていましたが、昨年11月から徐々に撤収が始まっていて、今年の3月末には一部を除いて完全撤収となる予定です。ただし、そのまま返還、という話ではありません。Jヴィレッジの生命ともいえる芝生だった場所に砂利を積んだりアスファルトを敷いたりしているので、そういったものをすべて東電さんの「責任」として原状復帰していただく必要があります。

 工事の進捗も重要ですが、少し心配なのが営業再開後のスタッフについてです。何しろ震災後、ずっと営業していなかったわけですから、再びスタッフを集めてトレーニングをし直す必要があります。芝の管理をする人、厨房で料理を作る人、ベッドメーキングをする人、もろもろ含めて160人のスタッフが必要です。でも、当時のスタッフの中には今も仮設住宅で暮らしていたり、福島から離れてしまったり、それぞれに事情がありますからね。幸いシェフの西さんは、こちらに自宅もお店もありますから、再開後はここでまた腕をふるってもらいます。今もいろいろと(再開に向けた)話をしているところですよ。

 最終的には、世間一般の皆さんが「Jヴィレッジが戻ってきたんだね」と違和感なく受け止めてもらえるようになるのが理想です。ただし、そこまでには相応の時間が必要でしょうね。実際、関西で暮らしている友人から「そんなところに住んで大丈夫?」とか「サッカーなんかできるの?」とか言われることも少なくないです。震災から6年経っても、このあたりが廃墟になっていると思っている人もいるくらいですから。もちろん、ここから20キロ先で原発事故が起こったという現実は、忘れてはなりません。東電には友人もいますし、心情的には何の恨みもない。それでも、Jヴィレッジを元通りの形で返還することと、地域の安全、そして安心できる環境は強く求めたいですし、あんな事故は二度と繰り返してほしくないと思っています。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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