東北人魂を胸に、復興活動を続ける小笠原満男=被災地のサッカー少年にグラウンドを
震災発生後、小笠原(右)は何度も被災地を訪れ、復興活動を続けてきた 【写真は共同】
2011年3月11日に東日本大震災が発生してから1年。「東北の被災地の人たちを勇気づけられるように、自分がサッカーで頑張ってる姿を見せたい」と言い続けてきたキャプテン・小笠原満男にとって、大迫勇也の先制弾を演出して今季初勝利に貢献したことは、新たな一歩を踏み出す大きな力になったはずだ。
被災地への思いから「東北人魂」を設立
「満男から『どうしても大船渡と陸前高田へ行きたい』と連絡があったので、『高速道路の陥没もあるし、やめた方がいい』と言いましたが、彼の意思は固かった。すでに盛岡に住む満男のお父さんが行けるところまで車で行き、途中から自転車に乗り換えて数十キロ走り、高田の嫁の実家までたどりついて安否確認を済ませていたから良かったですが、彼は身内さえ良ければいいとは決して思っていなかった。燃費のいい車を借り、家族ともども大船渡と高田に入って5日間、献身的に働いたんです。『子供を風呂に入れさせたい』と鹿嶋に戻った後も、支援物資や義援金を頻繁に送ってくれました。あの積極性には本当に頭が下がります」
小笠原の故郷への思いはそれだけにとどまらなかった。昨年3月29日に行われた日本代表対Jリーグ選抜のチャリティーマッチでは「東北人魂」と大きく書き込んだTシャツを着て大阪・長居スタジアムに登場。満足に練習できず、コンディションも整わない中、被災地の力になりたい一心でピッチ上を懸命に走り続けたのだ。
その後も地道な活動を続け、5月には東北六県の現役Jリーガー有志を募り、5月13日に「東北人魂を持つJ選手の会(通称=東北人魂)」設立にこぎつける。「東北サッカー未来募金(振込口座=七十七銀行利府支店 普通口座 5337623、東北サッカー協会義援金口代表 社団法人宮城県サッカー協会)」も同時にスタートさせ、定期的な募金活動を実施できるようにした。さらには被災地のサッカー少年のJリーグへの招待、イベント開催、被災地へのメンバー派遣などを精力的に行ってきた。
震災から1年、復興が進まない現状
「実は震災発生から丸1年が経過した今月11日も大槌、大船渡、陸前高田へ行ってきたんです。『1年たってこういう状態なのか……』と正直、思ったよね。頑張ってがれきは1カ所にまとめたけど、本気で処理するつもりがあるなら、もっと早く片付けられるはず。小中学校の校庭の仮設住宅に住んでる方もたくさんいるけど、そういう人たちの住居だって1年あれば作れるでしょう。そういうことが進まないから、子供たちがスポーツもできないし、運動会すらできない。ホントに何とかしないといけないと痛感しますよ……」
小笠原はこの1年間、被災地と少年たちと接する機会を数多く作ってきた。彼らと一緒にボールを蹴り、うれしそうにする姿から逆にエネルギーももらってきた。だが、逆に子供たちからの笑顔に陰りが見られる場面にも何度か遭遇したという。
「『これからも頑張って練習するんだぞ』と言うと、『やりたいんですけど、練習する場所がなくて練習できないんです……』と困った様子で言う子が何人もいたんだよね。それを何とかしてあげたいっていうのが今、一番強く思ってることなんです。被災地の復興の中でスポーツが後回しになってしまうのも分からないわけじゃない。人の生活や住居のことが最優先になるのは当然だと思うし。だけど『スポーツ施設は3年後に建て直します』となったら、子供たちの3年間は失われてしまう。3年っていったら、小学生が中学生に、中学生が高校生になる時間でしょ。それを空白にしたらスポーツが消えてしまう。僕は絶対にこのままじゃいけないと思ってます」