93年5月15日 あなたは何をしていましたか
シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

「Jリーグ開幕」を知らない若者たち

Jリーグが開幕した「1993年5月15日」、あなたは何をしていましたか?
Jリーグが開幕した「1993年5月15日」、あなたは何をしていましたか?【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

「あの日、あなたはどこで何をしていましたか?」


 同時代を生きた者同士であれば、出身地や性別や学歴や価値観を超えて共有している、国民的な「記憶」というものがある。最近の話でいえば「2011年3月11日(東日本大震災発生)」だろうし、私の親の世代であれば「1964年10月10日(東京五輪開会式)」だろう。さらに世代をさかのぼると「1945年8月15日(玉音放送)」に行き着くのかもしれない。それらの年月日は、当時を生きた個々人の記憶に分かち難く結びついている。そして震災にせよ、五輪にせよ、敗戦にせよ、いずれも日本という国が大きく変わっていくターニングポイントとして、「あの日」のことは今後も語り継がれることだろう。


 ここに私は、サッカーファンにおなじみの年月日を書き加えてみることにしたい。「1993年5月15日」──言うまでもなく、Jリーグが開幕した日だ。


 あの日、自分がどこで何をしていたのか、おそらく「アラフォー」以上のサッカーファンなら明確に記憶していることだろう。私自身の話をすると、その日は大学時代のサッカー部のOB戦があって、試合後に河川敷の土手を歩きながら、誰かが「そういえば今日、Jリーグが開幕するんだよな」とつぶやいていたことを思い出す。「Jリーグ? なんか話題になっているみたいだけど、今日なんだ」と思い出し、自宅のテレビをつけて派手なオープニングセレモニーに引き込まれていった。当時の私は、入社2年目の一介のサラリーマン。その後、テレビの向こう側の熱気に溢れた世界で仕事をするなど、夢にも思わなかった。

24年前のJリーグ開幕当時を知らない若者が増えてきた
24年前のJリーグ開幕当時を知らない若者が増えてきた【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 ここで、時計の針を一気に20年ほど進めてみる。私はここ10年ほど、縁あってとある大学でスポーツ(特にサッカー)に関する講義を受け持っている。そこで時々、Jリーグの開幕セレモニーの様子や、日本代表がワールドカップ(W杯)予選を初めて突破した97年当時のニュース映像を見せるのだが、20代の若者たちは一様に「え、何これ!?」という感じで画面に見入ってしまう。そのリアクションは実に興味深く、と同時にある種の戸惑いを禁じ得ない。彼らのまなざしは、まるでわれわれの世代が戦後間もない時代のモノクロ映像を見ている姿と酷似していたからだ。


 もっとも、今の20代は「日本代表はW杯に出場して当たり前」の世代である。Jリーグに関しても「どこかの地方都市でやっている」とか「観客の年齢層が高い」とか「ワールドクラスの選手がいない」などなど、要するに「欧州フットボールと比べて見劣りするリーグ」と感じていることだろう。そんなJリーグが、今から24年前にはきらびやかなライトと黄色い歓声を浴びながら開幕していた──。その事実に、往時を知らぬ若者たちはまず驚いてしまうのも当然のことと言えよう。

Jリーグができたことで日本は変わった?

毎週末、地方都市に1万人以上の観客が集まる。Jクラブができたことで風景が変わった事例のひとつだ
毎週末、地方都市に1万人以上の観客が集まる。Jクラブができたことで風景が変わった事例のひとつだ【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 再び、時計の針を24年前に戻す。93年5月15日のJリーグ開幕について、未曾有の大震災やアジア初の五輪、さらには軍国主義時代の終えんとなった敗戦と一緒に語ることに、違和感を覚える人は(サッカーファンも含めて)決して少なくはないだろう。もちろん「あの日」をもって、日本人の価値観が一変したわけでもなければ、急速に経済発展を遂げたわけでない。しかし、それでも私は思うのである。「Jリーグができたことで、間違いなく日本は変わった」と。具体的な変化について、思いつくまま列挙してみよう。


 まずJリーグの開幕によって、日本のプロスポーツ界は劇的に変化した。もしもJリーグがなかったら、依然としてプロ野球の1強時代が続いていただろうが、その人気が四半世紀後も続いていたという確証はない。少なくとも、パ・リーグが「地域密着」の手法を取り入れて人気を回復する可能性は低かったはずだ。Jリーグが爆発的な盛り上がりを見せたからこそ、危機感を抱いたプロ野球界ではマーケティングやファンサービスのあり方を見直す気運が高まったし、Jリーグの成功事例があったからこそ、バスケットボール界はプロ化に舵を切ってBリーグが開幕した。


 一方でJリーグは、地方都市の風景も激変させた。鹿島、浦和、新潟、大分、仙台、札幌、そして松本。東京、大阪、名古屋の三大都市圏以外で、毎週末に1万人以上の観客が集まるスポーツイベントが定期的に開催されることなど、昭和の時代にはまったく考えられないことである。また、「娯楽施設がほとんどない企業城下町(鹿島)」や「サッカー不毛の地(新潟)」や「県庁もなければ新幹線も停まらない街(松本)」に、Jクラブができたことで風景が一変したという事例は枚挙にいとまがない。これもまた、Jリーグがこの国に起こした変化である。


 そしてもうひとつ、Jリーグは日本人の価値観にも少なからずの変化を与えた。Jリーグの目的は、単に国内サッカーをプロ化し、国内の競技人口を増やすだけではない。スポーツを観戦する楽しさ、スポーツをすることによる健康増進、あるいはスポーツを通じたコミュニティーづくりの促進にも、Jリーグは大いに寄与してきた。これまでのような「モノやカネ」だけではない、「スポーツによって生活を豊かにする」という、それまでの日本に決定的に欠けていた価値観をもたらしたことは、まさにJリーグが日本にもたらした最大の変化と言ってよいだろう。

宇都宮徹壱
宇都宮徹壱

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著はスポーツナビでの連載をまとめた『J2&J3 フットボール漫遊記』(東邦出版)

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