93年5月15日 あなたは何をしていましたか シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

Jリーグが「歴史化」していくことへの焦燥感

Jリーグの誕生は、われわれの生活に大きな影響を与えた 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 より個々人の生活に寄せて考えてみると、もっと分かりやすい。職業や年齢や社会的なポジションに関係なく、スタジアムで仲間ができた。それまで縁がなかった土地を訪れて、他サポとの交流が生まれた。家族の話題にサッカーが加わった。好きな色が変わった。急に郷土愛に目覚めた、などなど。私自身、「サッカーメディア」というマーケットが新たに生まれたことによって、発表の場と生活の糧が得られるようになった。もはや「Jリーグがない世界」というものは、全く想像できない。

 確かに「Jリーグブーム」ということで考えれば、「1993年5月15日」は一過性のムーブメントと見なされるのも致し方ないところである。しかしここで留意したいのが、バブル崩壊後の「失われた20年」とJリーグの24年がほぼ重なっているという事実である。バブルの時代に比べると、確かにわれわれはぜいたくができなくなったし、未来に対して無邪気に夢見ることはできなくなったし、GDP(国内総生産)も中国に抜かれて世界3位となった。そんな中、バブルの時代には考えられなかったものが、今の私たちの生活にはいくつも存在する。多くの人は「スマホ」や「インターネット」を挙げるだろうが、私はあえてそこに「Jリーグ」を加えたい。Jリーグが開幕したことで、「ポスト・バブル時代」を生きる日本人は(サッカーファンであるなしにかかわらず)、少なからぬ影響を受けているように思えてならないからだ。

当連載が「歴史化」していくJリーグが日本社会に果たした役割について考察する契機となってほしい 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 来年、2018年はJリーグ開幕から25周年に当たる。「百年構想」をうたうJリーグが、その4分の1の節目を迎えるにあたり、これまでの25年を振り返る連載企画を思い立った。当連載が想定する読者層は、大きく2つ。まず、(前述したような)Jリーグ開幕当時を知らない世代の人たち。それから開幕当時は記憶しているものの、その後Jリーグが果たした社会的役割について今ひとつピンとこない人たちである。当企画では、Jリーグが開幕した1993年から今年2017年まで、それぞれの年に起こったトピックスをランダムに取り上げる。そして当事者たちへの取材をもとに、できるだけ時代の空気感が伝わるように再構成して、月1本のペースで2年にわたり発表していく予定だ。

 当企画を進めるにあたり、もうひとつ大きな後押しとなったのが、木之本興三さんの訃報である。当連載でも触れることになろうが、今年1月15日に68歳で亡くなられた木之本さんは間違いなく「Jリーグを作った男」であった。私自身は生前の木之本さんに二度、インタビュー取材をする幸運に恵まれたが、今にして思うと「もっとお話を聞いておけばよかった」という後悔ばかりが先立ってしまう(同じ感情は、今月2日に85歳で亡くなられた元JFA会長の岡野俊一郎さんについても言える)。今後、ますます「歴史化」していくJリーグ。歴史の証言者たちの言葉を拾い集めることで、Jリーグが日本社会に果たした役割について、あらためて考察する契機となれば幸いである。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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