ブンデスのフロントから日本のために―― 瀬田元吾、ドイツサッカー解体新書(1)

瀬田元吾

フォルトゥナとの出会い

デュッセルドルフ日本人学校の生徒たちがアリーナツアーに訪れた際には、トップチームの選手たちと触れ合う機会も設けた 【写真:フォルトゥナ・デュッセルドルフ】

 今年35歳となった私は、幼少期よりドイツサッカーに憧れていた。05年1月、24歳で渡独することを決断。将来はサッカークラブのマネジメントに携わっていこうと考えていたため、ドイツのサッカー環境を勉強したいと考えていた。何よりも06年にドイツで開催されることになっていたW杯を肌で感じたいと思っていた。

 現役時代、ドイツでは合計4つのアマチュアクラブでプレーした。最初に入団したのは当時、ドイツ3部リーグに所属していたフォルトゥナのサテライトチーム(当時はドイツ5部)だった。このクラブでプレーすることができたことで、将来はそのフロントに入り、セカンドキャリアをスタートさせたいと強く思うようになる。

 またこのクラブは、最初から私にとって特別な存在でもあった。当時3部所属だったにもかかわらず、収容人数5万人を超えるLTUアリーナ(現ESPRITアリーナ)をホームスタジアムにしていたからである。W杯招致のため、04年に新築されたこのアリーナは、実際にはW杯の試合は行われなかった。だが、これだけのインフラが整備されているクラブは、ドイツでもそうあるわけではない。

 ソフト面の改善さえできれば、このクラブは必ず、かつて強豪だったときのようにドイツサッカーの表舞台に戻ることができる――私は直感でそう感じていた。また、私にはフォルトゥナで実現したい戦略もあった。それはヨーロッパではロンドン、パリに次ぐ3番目に大きい日本人社会の存在を生かしたマーケティングである。

 8000人近いの日本人が暮らすこの町に活動拠点を置く日系企業は300社を超えており、人口約60万人の都市であるデュッセルドルフにとって、かなり大きな存在である。まずは忘れられた存在になっていたフォルトゥナをデュッセルドルフに暮らす日本人に認知してもらい、彼らからのサポートを引き出すことで、クラブを支える経済的基盤を作ろうと考えた。日本人コミュニティーとの関係性を構築することで、日本とのつながりを生み出し、同時に日本人選手を獲得してフォルトゥナの復権に貢献させようと考えた。

デュッセルドルフの日本人社会へアプローチ

スポンサーである日立グループの協力を得て交流会も開催。デュッセルドルフの日本人社会へのアプローチも重要な仕事である。(写真は左から、金城選手、ロベルト・シェーファー会長、小掠義之日立ハイテクノロジーヨーロッパ社長) 【写真:フォルトゥナ・デュッセルドルフ】

 そんな思いを持ち、私は08年に研修生としてフォルトゥナのフロント入りを果たすことになる。何度も履歴書を送り、半年かかってようやく得た広報部長との面接で自らの思いを伝え、なかば強引にクラブに置いてもらう了承を得たのだった。そして3カ月後には、フロント内に日本デスクを立ち上げることとなった。

 まずはデュッセルドルフにある日本人学校の子供たちや、日本人社会の中心にいる方々をホーム試合に招待し、積極的に認知活動を行う一方、クラブ会員への入会を促し、日本語でのケアを行った。また、いろいろな日本人コミュニティーでのイベントにも参加し、日本語を交えたグッズの製作・販売などにも着手。日本人学校では2年生を対象にした「フォルトゥナ授業」と「スタジアム見学会」を企画した。これは今でも大好評で、毎年秋に実施されている。

 10年ぶりに2部復帰を果たした09−10シーズンには、かつてジェフ千葉やサンフレッチェ広島で活躍した結城耕造の獲得に従事し、日本語マガジン『フォルトゥナ通信』を創刊。翌年には日本デスクブログもスタートさせ(13年に日本語オフィシャルサイトへ移行)、15年ぶりに1部に復帰した12年には、ヨーロッパの日立グループと、3年の大型スポンサー契約締結を実現させた。

 12年12月には、清水エスパルスから大前元紀の獲得にも成功すると、彼の在籍中は通訳として二足のわらじを履き、現場にも足を運ぶ日々が訪れた。大前が古巣へ復帰した後は、再びフロント業務に戻ったが、私は広報、会員管理、ホームタウン活動、営業、マーチャンダイジング、スカウティング、強化と現場のすべての部署の仕事を、日本デスクとして経験することができたのだ。

日本サッカーのさらなる発展のために

 なお、今シーズンは日立グループとの契約の再延長を実現し、新たにトーヨータイヤヨーロッパ社と2年のスポンサー契約を締結させた。さらにはデュッセルドルフ商工会議所に入会するなど、日本人社会とのさらなる友好的な関係構築も進めている。

 このようにして、ドイツプロクラブの日本人フロントスタッフとして、クラブの利益を考えながら、同時に日本人としての視点を持ち続け、日本サッカーのさらなる発展に貢献すべく活動を続けている。それが今の私にできる、日本サッカーへの貢献の仕方であると信じている。そのために常に自問自答しながら、ドイツより最新の情報発信も続けていくつもりだ。東京五輪までのカウントダウンはすでに始まっている。もはや、躊躇(ちゅうちょ)している時間はないのだ。

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著者プロフィール

1981年生まれ、東京出身。筑波大学蹴球部、群馬FCホリコシを経て2005年に渡独。ドイツではフォルトゥナ・デュッセルドルフのセカンドチームなどに所属し、アマチュアリーグでプレーしたのち、現役を引退。08年に同クラブのフロント入りし、日本デスクを立ち上げ、海外クラブの中で、広報やスポンサー営業、ホームタウン活動、スカウティング、強化、選手通訳など、さまざまなことに従事してきた。近年はドイツのプロクラブで働く「フロント界の欧州組」として、雑誌やTVを通じて情報発信を行っているほか、今年4月には中央大学の客員企業研究員にも就任している。著書に『「頑張るときはいつも今」ドイツ・ブンデスリーガ日本人フロントの挑戦』(双葉社)、『ドイツサッカーを観に行こう!ブンデスリーガxドイツ語』(三修社)。14年にドイツに設立したSETAS UG社(http://www.setags.jp/)を通じ、日独の架け橋になる活動も行っている。

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