車いすラグビー、継承された戦略的プレー ベテラン・島川が銅メダルに思うこと

荒木美晴/MA SPORTS

チーム全員でつかんだ銅メダル

悲願の銅メダルを獲得した日本。チームは歓喜に沸いた 【写真:ロイター/アフロ】

 ウィルチェアーラグビー日本代表が、4大会目で悲願を達成した。リオパラリンピック最終日の18日、3位決定戦で日本は52−50でカナダに勝利。銅メダルを獲得した。

 予選を2勝1敗の2位で通過した日本は、準決勝で今大会優勝したオーストラリアに完敗。日本は3位決定戦に臨んだ。相手のカナダは、比較的障がいが軽いザック・マデルを中心に得点を重ねるチーム。日本はそのザックの動きを先に読んだポジション取りと、2人3人とかぶせるディフェンスで、相手の攻撃のチャンスを封じた。第1ピリオドにはエース・池崎大輔(三菱商事)と池透暢(日興アセットマネジメント)のスピードを生かした攻撃で得点を重ね、また若山英史(愛康会あしたかケアセンター)と今井友明(三菱商事)の2人がゴール前を冷静に守り、4点差をつけた。第3ピリオドには、粘るカナダに連続得点を奪われ2点差まで追いあげられるが、日本は最後まで落ち着いて対応。最終ピリオドも圧力をかけてくる相手のディフェンスを華麗にかわし、リードを守り抜いた。
 ウィルチェアーラグビーは激しいタックルが魅力で、「ラグ車」と呼ばれる専用の車いすは試合の中で何度もパンクする。それを即座に交換し、ベンチで修理をするメカニック、選手たちの体を懸命にケアするトレーナーらスタッフの存在は不可欠で、彼らは選手と同じ釜の飯を食い、リオでも粛々と仕事を全うした。試合に出ていない選手も懸命にアドバイスを飛ばし、一体感に包まれた日本側ベンチとコート。チーム全員が一丸となってつかんだ勝利だった。

ベースを作ったカナダ人コーチ

エースの池崎(写真)、池を生かしたハイローラインを中心に、臨機応変にラインを入れ替えた 【写真:伊藤真吾/アフロ】

 ロンドン大会でベスト4に終わった日本代表が、リオでのメダル獲得のために取り組んだのが、さまざまな選手を組み合わせる「ライン」の強化である。ウィルチェアーラグビーは選手の障がいの程度によりそれぞれ持ち点が付けられ、重いほうから0.5点、1.0点、1.5点、2.0点、2.5点、3.0点、3.5点の7クラスに分類され、競技中のコート上の4選手の持ち点の合計は8.0点を越えてはいけないというルールがある。今までは点が取れる一つのラインに頼りがちだったが、合宿や大会で試行錯誤を繰り返しながら、障がいが重い選手と軽い選手を組み合わせた「ハイローライン」、持ち点をほぼ均等に振り分ける「バランスライン」、現在急成長中でパラ初出場の乗松聖矢(SMBC日興証券)を入れた「秘策ライン」と、3つのラインを完成させた。

 池の高さと池崎のスピードを最大限に生かすハイローラインを最強のファーストラインとし、試合展開に応じて臨機応変にラインを入れ替えていく。今大会、決勝に進んだオーストラリアと米国には敗れたが、パラリンピックで「三強」の一角であるカナダを破り、これまでの努力が間違いでないことを証明できた。

 こうしたチームのベースを作ったのが、カナダ代表のアシスタントコーチを務めた経験を持つアダム・フロスト氏だ。ロンドン大会の翌年に日本代表に招へいされたアダム氏は、まず基礎的なスキルから立て直した上で、これまでのような感覚的なプレーではなく、選手の特性を生かせる戦略的なプレーを選手に植え付けた。現在の荻野晃一ヘッドコーチ、三阪洋行アシスタントコーチが就任してからもその精神は受け継がれ、選手としても活躍した2人の経験をもとにしたプランをそこに加味。世界に通用する日本代表を作り上げたのだ。

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著者プロフィール

1998年の長野パラリンピック観戦を機に、パラスポーツの取材を開始。より多くの人に魅力を伝えるべく、国内外の大会に足を運び、スポーツ雑誌やWebサイトに寄稿している。パラリンピックはシドニー大会から東京大会まで、夏季・冬季をあわせて11大会を取材。パラスポーツの報道を専門に行う一般社団法人MA SPORTSの代表を務める。

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