車いすラグビー、継承された戦略的プレー ベテラン・島川が銅メダルに思うこと

荒木美晴/MA SPORTS

日本の成長を支え続けたベテラン・島川

4大会連続出場となる島川。チームでの役割は変わっても、勝利への強い意志は今も昔も変わらない 【写真:アフロスポーツ】

 この4年間、いや日本が初めてこの競技でパラリンピックに出場したアテネ大会からの12年間にわたる日本の成長を誰より実感しているのは、この男、島川慎一(バークレイズ証券)かもしれない。日本代表として、2001年から今大会まで4大会連続で出場。荻野ヘッドコーチと三阪アシスタントコーチ、そして今もともに戦う仲里進(アディダスジャパン)らと日本の創成期を支えた。

 その間、島川はウィルチェアーラグビーの本場・米国に活動の場を広げ、強豪の「フェニックス・ヒート」と「テキサス・スタンピード」の一員として活動。チームの大黒柱として活躍した。帰国後はその経験を生かし、北京大会でメダル獲得を狙ったが、厚い壁に跳ね返された(7位)。リベンジを誓ったロンドン大会、日本は「メダル候補」と言われるまでに成長したが、島川は直前の日本選手権で試合中に指を切断する事故に遭う。入院生活の末、なんとか本番には間に合わせたものの、終始満足いくプレーができなかった(結果は4位)。

 不完全燃焼のリベンジを果たすべく臨んだ、今回のリオ大会。これまでとは役割も変化した。爆発的な得点力を生かす攻撃の要としての起用というより、途中出場して試合の流れを変え、相手にインパクトを与えて次のラインにつなぐことが使命。難しい仕事だが、経験と持ち前のスピードを発揮して相手をかき回した。ただ、当たりの強い米国戦などでは「相手のプレッシャーに押されて機能しなかった」と反省を口にしたが、勝利への強い意志は昔も今も同じだ。

「やっぱ悔しいって思ったわ」

チームの歴史を知る島川(手前)と三阪アシスタントコーチは抱き合い、喜びを分かち合った 【写真:アフロスポーツ】

 決戦を前に、仲里、荻野ヘッドコーチ、三阪アシスタントコーチと4人で写真を撮ったという。「アダムが新しい風を入れてくれた。でも、きっとそのままではカナダには勝てなかった。今のコーチ陣が、アダムが残していったものを、形に作りあげてくれた。両方が合わさったから勝利できた」と目を潤ませた。

 試合直後は、「うれしいし、ほっとした」と話していた島川。表彰式から戻ってくると、銅メダルを触りながら、こう言った。

「1位のところに並ぶオーストラリアを見ててさぁ、やっぱ悔しいって思ったわ」

 チームの歴史を知る男は、この経験をもとに東京への物語を紡いでいく。

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著者プロフィール

1998年の長野パラリンピック観戦を機に、パラスポーツの取材を開始。より多くの人に魅力を伝えるべく、国内外の大会に足を運び、スポーツ雑誌やWebサイトに寄稿している。パラリンピックはシドニー大会から東京大会まで、夏季・冬季をあわせて11大会を取材。パラスポーツの報道を専門に行う一般社団法人MA SPORTSの代表を務める。

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