「ベトナムのメッシ」観戦ツアーの裏側 Jアジア戦略の行方を占う水戸の試み

宇都宮徹壱

「コンフォンとの感謝の夕べ」主催者の思惑

試合翌日の「グエン・コンフォンの夕べ」。ベトナムの英雄はファンサービスにも熱心だ 【宇都宮徹壱】

 試合翌日の8月1日、水戸市内にあるホテルで、ベトナムからの観戦ツアー客に向けた「グエン・コンフォン選手との感謝の夕べ」というイベントが催された。当初はあまり期待していなかったのだが、「コンフォンをめぐる構図」が可視化されたという意味では興味深いイベントであった。私がまず注目したのは来賓の顔ぶれ。「茨城県商工労働観光部観光局長」とか「茨城県企画部空港対策監」とか「日本貿易振興機構貿易情報センター所長」といった肩書から、コンフォンが「何を求められているか」が読み取れる。

 実はコンフォンの水戸移籍に、最も積極的だったのは茨城県であったとされる。2014年3月、ベトナムのチュオン・タン・サン国家主席が来日した際に、茨城県は橋本昌知事とベトナム農業農村開発大臣との間で、農業分野における協力関係強化の覚書を交わしている。そして同年10月には、橋本知事をはじめ県議会や県内の農業・経済団体など約80人の訪問団がベトナム政府に招かれた。農業や観光を通じて、今では「茨城は日本で最もベトナムと親しい県」となっているのだそうだ。

 こうした交流の一方で、県としては友好のアイコンとなる存在を求めた。そこで地元のクラブである水戸に「ベトナムの選手を獲得する意思はないか」と打診を行う。しかし、水戸にはそのようなコネクションがない。そこで助け舟を出したのがJリーグの国際部。かねてよりアジア戦略を推進させ、ASEAN(東南アジア諸国連合)出身の優秀な選手をチェックしていた彼らのリストの中に、アンダー世代から将来を嘱望されていたコンフォンの名前があった。水戸にとっても国際部にとっても(そして茨城県にとっても)まさに渡りに船。所属するホアン・アイン・ザライFCも「Jリーグ経由で欧州に売り込みたい」というもくろみがあり、昨年3月から始まった移籍に向けた交渉は思いのほかスムーズに進んだという。

 この日の主役が登場するまでの間、会場では「いばらきベトナム交流大使」のコンフォンが茨城県内の名所や特産品を紹介するビデオが上映されていた。明らかに大手代理店が間に入っているような凝った作りだ。そして満を持して登場したコンフォンは、この日の参加者およそ70人全員分のツーショット撮影やサイン会に応じ、さらにはひとりひとりにお土産も手渡していた。まさに、フットボーラーによるディナーショー。イベント終了後に囲み取材があったので「ファンサービスについてどう思うか」と尋ねてみた。コンフォンは少しはにかむような笑みを浮かべて、それでもはっきりこう答えた。

「プロだし、皆さんに応援していただいているので、当然だと思います」

「クラブ全体の成長戦略を考えるきっかけにしていきたい」

水戸の国際事業企画マネージャー、黄川田賢司氏。今回のツアーは「成果があった」と語る 【宇都宮徹壱】

 水戸での一連の取材を終えて、ふと思い出したことがある。それは1994年にセリエAのジェノアに移籍した三浦知良(現横浜FC)のことだ。当時のカズは、日本国内では押しも押されぬもせぬエースストライカーであったが、「世界最高峰」と呼ばれていたセリエAのクラブがこぞって欲しがる存在かといえば、残念ながら「否」と言わざるを得ない。アジア人として初めてセリエAのピッチに立ったカズだが、この移籍に「ジャパン・マネー」(今となっては死語だが)が少なからず影響していたことは当時から指摘されていたことだ。「日本−カズ−イタリア」、そして「ベトナム−コンフォン−日本」。日本の立ち位置は大きく様変わりしたが、構図としては22年前と相似関係にある。

 東京に戻ってから、水戸の国際事業企画マネージャー、黄川田賢司氏に話を聞く機会があった。黄川田氏は、Jリーグが立命館大学と共同で開講したプロスポーツ界の経営を担うビジネスパーソンの養成から雇用までを見据えた総合的な人材開発・育成プログラム「Jリーグ・立命館 Jリーグヒューマンキャピタル教育・研修コース(基礎)」の1期生(同期に中田浩二氏や堀之内聖氏らがいる)。現在の水戸でのミッションは「コンフォンをいかに活用して、インバウンドを含むビジネスを展開していくか」である。確かにクラブのビジネス・マネジメントも重要だが、それによってフィールド・マネジメントが阻害されるとしたら本末転倒と言わざるを得ない。果たして、黄川田氏の見解はどのようなものか?

「今回(金沢戦で)コンフォンがスタメンで出場したということ。そしてチームが3−0で勝利したということ。この2つは、非常にクラブにとって価値あることなんですね。おそらく西ヶ谷監督も、いろいろと葛藤やプレッシャーを感じていたと思います。それでもクラブ側の働き掛けに対して、監督やスタッフや選手も含めた現場の理解があったからこそ、この価値が生まれた。この成果を、クラブ全体の成長戦略を考えるきっかけにしていきたいですね。と同時に、こうした価値が、実際の数字として『強化費に反映される』ということを実現していくのが、今後のテーマだと思っています」

 Jリーグのアジア戦略がスタートしたのは12年。当初は東南アジア各国のリーグとの間でパートナーシップ提携を締結し、人材の交流やアジアにおけるJリーグのプレゼンス向上が図られてきたが、それから4年を経て、ようやくクラブ単位での「ビジネスの話」が具体化するようになってきた。今後の課題は、ビジネス・マネジメントとフィールド・マネジメントとのギャップを、いかに埋めていくかであろう。その意味でも「ベトナムのメッシ」ことグエン・コンフォンには、そろそろJリーグのピッチ上で本領を発揮し、しっかり定位置をつかんでほしいところ。いずれにしても、彼がスタメン出場を果たしたホームの金沢戦は、水戸のみならずベトナムのサッカー界、そしてJリーグのアジア戦略の行方をも左右する大きな第一歩であった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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