大相撲で続出する立ち合い不成立 力士、行司、審判部の共通認識が必要に
立ち合いは絶妙なバランスで成り立つ
5月場所3日目の大栄翔(左)と大砂嵐の一番。このあと、大栄翔が押し出すのだが、友綱審判長(奥)が右手を上げて立合い不成立を告げていた 【写真は共同】
これには相撲ならではの背景がある。ラジオ中継が始まる昭和初期以前までの仕切りは無制限だった。何度も仕切りを繰り返しながら、両力士が互いに息の合ったところで立っていた。中には1時間以上も仕切っていたというケースもあったという。それが昭和3年(1928年)に大相撲のラジオ中継が開始されることになり、中継時間内に取組を全て終わらせる必然性から、仕切りの制限時間が設定され、同時に仕切り線も設けられた。
こうして幕内10分、十両7分、幕下5分の制限時間ができ、その後は徐々に短縮され、昭和25年(1950年)9月場所に幕内4分、十両3分、幕下2分となり現在に至る。あくまでも制限時間なので時間いっぱい前の仕切りでも、両力士の呼吸が合えば立っていいのだが、ここ何年かは時間前で立つケースはほとんど見られない。
審判部は「手つきの徹底」を求める
八角理事長(元横綱北勝海)が掲げる「土俵の充実」の一環として、まずは立ち合いの正常化から取り組もうということなのであろう。実際、5月場所では審判長が手を挙げて立ち合いをやり直させる場面が少なくなかった。
3日目の大栄翔−大砂嵐戦は、大栄翔が会心の相撲で大砂嵐を押し出したが、それより前に友綱審判長(元関脇魁輝)の右手が上がっており、大砂嵐の手つきが不十分でやり直しに。続く相撲は大砂嵐の完勝に「(止められたのは)分からなかった。行司の声が聞こえなかったので成立したと思った」と大栄翔。しかし「2回目も勝てればよかったけど、負けたんで仕方がない」と“恨み節”は一切なかった。
5日目も横綱鶴竜が勢との一番で、行司の式守伊之助に両手をチョンとつく立ち合いを止められた。両者の呼吸は合っていたが手つき不十分とされ、2度目は鶴竜が手をつけずに待った。3度目は鶴竜が右手ついて、相手が立つのを待って立った。ペースを乱された鶴竜は強引に寄って出たところで逆転の小手投げに敗れた。普段は温厚な横綱が取組後は珍しく怒りをあらわにし「そんなにずれてましたか?」と記者に逆質問。さらに「納得できないですね。(自分は)立ち合いで駆け引きはしないし、(直すべき点が)ちょっと分からない」とまくし立てた。
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納得のいかない力士も……
7月場所12日目の白鵬−照ノ富士戦。1回目の立ち合いで行司・式守伊之助(左)が左手を差し出して立ち合い不成立を告げた 【写真は共同】
それでも、前述の鶴竜のように、力士側から基準が分かりにくいといった戸惑いの声が出ているのも事実だ。先の7月場所も立ち合いの手つきが不十分とされ、2日連続でやり直しを命じられたある力士は「行司は上から見ているから、手をついているのが見えないと思う。ビデオで確認したけど、やっぱり手はついていた」と納得がいかないようだった。
横綱白鵬は12日目の照ノ富士戦の立ち合いを止められた。「(呼吸が)合っていなかった。ずれていた」と行司の式守伊之助。手はついていたが、両者の呼吸が合っていなかったという認識だ。さらに2日後の稀勢の里戦も、手はついていたが立ち合いをやり直しさせられた白鵬は「(呼吸は)合っている。何回やるんだ」とぶぜんとした表情だった。
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見苦しい審判長による注意
9月場所は11日に初日を迎えるが、立ち合いの正常化を目指すのであれば、力士らの不満や戸惑いを解消すべく、まずは力士、行司、審判部で共通認識を持つことがその第一歩となろう。
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