日本で開花したレメキ、五輪に挑む 7人制ラグビーでも「世界を驚かせる」

斉藤健仁

7人制ラグビー日本代表のエース

7人制ラグビー日本代表のエースとして活躍するレメキ。2014年に日本国籍を取得した 【写真:Haruhiko Otsuka/アフロ】

 愛称「マノ」ことレメキ ロマノ ラヴァ。8月6日から開幕するリオデジャネイロ五輪から正式種目になった7人制ラグビー(セブンズ)の男子日本代表のエースであり、メダルを獲得するためにはチームにとって欠かせない存在である。

 身長177センチ、体重93キロという体格で、15人制ではCTBやWTBとしての出場が多いが、7人制ではBKだけでなくFWでもプレーできる万能さと力強いランが武器だ。もともとニュージーランド(NZ)出身だったが、日本人の妻と結婚し、2014年に日本国籍を取得。五輪が始まるまであと2週間あまり、現在のマノの心境に迫った。

20歳で来日するが、所属チームがない時代も…

リオ五輪が迫る中、インタビューで思いを語った 【斉藤健仁】

 もともと15人制ではロマノ・レメキとして知られていた。両親はトンガ出身で、本人はNZのオークランドで生まれた。19歳のころ、両親と一緒にNZからオーストラリアのブリスベンに移住。今年、日本代表FB五郎丸歩(現トゥーロン)が所属したレッズのアカデミーに入り、壁にタイルを貼る仕事と掛け持ちしてプレーしていたという。「タイルを運ぶ、力仕事ばかりしていました」

 レメキは「早くフルタイムのプロになりたい!」ということで、2009年、20歳の時に、当時は下部リーグだったキヤノンラグビー部から誘いを受けて来日した。3歳年上の日本人の奥さんは、キヤノン時代に鍋パーティーで先輩に紹介してもらったという。キヤノンとは1シーズンで契約終了してしまい、翌年は日本のチームに在籍することはなかった。そして、2011年にはマツダに移籍したが、2012年度は再び、日本で所属するチームがないという不遇の時代を過ごしていた。

契約の遅れがきっかけで、7人制日本代表に招集

14年の東京セブンズでは、大会のベスト7である「ドリームチーム」に選ばれた 【写真:アフロスポーツ】

 NZでもオーストラリアでも「セブンズをプレーしたことがなかった」というレメキと、五輪競技になったセブンズとの出会いは2013年のことだった。レメキは当時下部リーグだったホンダと契約に至ったものの、時期が遅かったため、規定上、このシーズンはプレーできないという状況だったという。そこで、2013年6月にセブンズのワールドカップで惨敗し、2016年の五輪に向けて新たに走り出した男子セブンズ日本代表に招集されたというわけだ。

 早速、レメキは2013年8月末から11月まで開催されたアジアシリーズに7人制の日本代表として出場、4大会で4度のハットトリックを含む25トライを挙げて日本代表の優勝に大きく貢献した。突破力と瞬発力、FWでもBKでもプレーできる幅の広さが相まってセブンズの才能が一気に花開いたと言えよう。そして、2014年4月、世界の強豪がそろうワールドシリーズのひとつである「東京セブンズ」では、優勝経験のあるサモア代表に勝利し、大会のベスト7の一人として「ドリームチーム」にも選出されるなど世界の舞台でも実力を証明し、日本のエース格としての地位を不動のものにした。続く2015年もレメキの勢いは止まらず、4月の「東京セブンズ」では2000年以来のベスト8入りに貢献し、11月の五輪予選でも活躍し、リオへの切符獲得にも寄与した。

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著者プロフィール

スポーツライター。1975年生まれ、千葉県柏市育ち。ラグビーとサッカーを中心に執筆。エディー・ジャパンのテストマッチ全試合を現地で取材!ラグビー専門WEBマガジン「Rugby Japan 365」、「高校生スポーツ」の記者も務める。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。「ラグビー「観戦力」が高まる」(東邦出版)、「田中史朗と堀江翔太が日本代表に欠かせない本当の理由」(ガイドワークス)、「ラグビーは頭脳が9割」(東邦出版)、「エディー・ジョーンズ4年間の軌跡―」(ベースボール・マガジン社)、「高校ラグビーは頭脳が9割」(東邦出版)、「ラグビー語辞典」(誠文堂新光社)、「はじめてでもよく分かるラグビー観戦入門」(海竜社)など著書多数。

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