忘れ得ぬアスリートの言葉=識者が選ぶ「五輪3大名言」

松原孝臣
 スポーツの現場で、思わずはっとする言葉に、忘れがたい言葉に出会うことがある。
 オリンピックではなおさらそうだ。大会のたびに、選手やコーチが発する数々の言葉が記憶に刻まれる。
 ここでは、リオデジャネイロ五輪に出場する選手たちから聞いた言葉の中から3つを選んで紹介したい。すべて、ロンドン五輪での言葉である。

福原愛(卓球)「ここまで長かったな」

福原愛がラケットを握って20年、その歩みは日本卓球界初のメダルへとつながった 【Getty Images】

 卓球女子団体準決勝のシンガポールとの試合で、一番手としてシングルスに登場した福原愛(ANA)は、フェン・ティアンウェイに3−1で勝利する。この大会のシングルスで銅メダルを獲得した強豪であり、しかも過去の対戦成績は1勝8敗であった。福原が難敵から挙げた勝利で勢いにのった日本は、続くシングルスで石川佳純、そして石川と平野早矢香のダブルスで勝利、3−0で決勝進出を決めて銀メダル以上を確定。日本卓球界初のメダル獲得が決まった瞬間でもあった。

 その直後、福原は涙を流しつつ、こう語った。実はロンドン五輪開催の8月は、福原がラケットを握ってから20年を迎える月でもあった。小さな頃から懸命に取り組み、小学生時代には台頭。中学生のときには世界選手権代表に選ばれ、順調な足取りを刻んできた。

 だが、舞台が大きくなればなるだけ、打ち破らなければならない壁も見えてきた。初めて出場して結果を残せなかったアテネ五輪の後には、「まぐれや偶然では勝てません」ともらした。翌年には世界最強中国の国内リーグに参戦するなど、強化に励んだ。続く北京五輪の団体では、3位決定戦で敗れた。強化の成果を示したもののあと一歩及ばず4位。そしてロンドンで、ついにメダルを手にしたのである。福原の言葉には、その年月が込められていた。

 リオデジャネイロ五輪は、ロンドンで手にすることができなかった世界一が目標となる。

入江陵介(競泳)「27人のリレーはまだ終わらない」

男子4×100mメドレーリレーでは銀メダルを獲得。まさに「チーム」として結実した瞬間だった 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 ロンドン五輪で銀2、銅1と3つのメダルを獲得した背泳ぎの入江陵介(イトマン東進)は、2種目めの200mのレースの後、こう口にした。競泳日本代表は計27名、大会はその代表選手たちでのリレーなのだと語ったのである。個人競技でありながら、日本代表は1つのチームであるという意識の表れでもあった。そこには競泳日本代表の歴史も刻まれていた。

 競泳は、1996年のアトランタ五輪で大きな批判を浴びた。「史上最強」と称されるほど期待を集めたにもかかわらず、メダルなしで終わった大会だった。
 そこから再建の道はスタートした。まずアトランタの失敗の理由を、代表にまとまりがなかったことだと捉え、打ち出したのがチーム化であった。「選手個々ではプレッシャーを受け止めきれない。チームとして支えなければ力を出せない」という意図だった。以後、選手とコーチとの垣根を取り払い、選手間の意思疎通を図るなどさまざまな取り組みを重ねてきた。

 北京五輪200m5位から大きく成長した入江の言葉は、その歴史があってこそであり、競泳が再建に取り組んできた時間を思い起こさせた。
 入江はむろんのこと、日本競泳界にとって、リオデジャネイロ五輪はさらに飛躍を遂げるべく臨む大会である。

中村美里(柔道)「まだ強さが足りないということ」

北京のリベンジならず、「まさか」の初戦敗退となったロンドン五輪。中村美里はリオで8年越しの金メダルを狙う 【写真:アフロスポーツ】

 試合が終わった瞬間、「まさか」という空気が流れた。柔道52kg級の中村美里(三井住友海上)は金メダルの本命と目されていた。09、11年の世界選手権を制するなど(10年は日本の西田優香に決勝で敗北)、それにふさわしい実績を積み上げていた。なのに、ロンドン五輪初戦となった2回戦で姿を消すことになり、メダルなしに終わった。その試合後、中村は涙をこらえて語った。

 思わぬ結果を呼んだのは、北京五輪銀メダルのアン・グムエといきなり当たる組み合わせの妙があり、しかもアンは1回戦からの出場で体があたたまっていた。試合開始早々に技ありを取られたのも1戦こなしているいないの差だっただろう。北京五輪でもアンに敗れて銅メダルに終わっており、「金メダル以外は同じ」と言ってから4年、リベンジはならなかった。

 試合開始早々にポイントを取られた後、有効を奪い、守勢のアンに指導2が与えられるなど押し込んだ。北京での完敗からすれば、中村の4年間の成長は明らかだった。世界一になるべき実力は備えていたし、4年間どれだけ練習に打ち込んできたか、努力のほどはうかがえた。

 しかし、4年の真摯(しんし)な歩みがあっても勝てないことがあるのが勝負の厳しさだ。その時間の重みと残酷さを感じさせた中村の言葉は今も焼きついている。あれから4年、再び、中村は悲願をかけて挑むことになる。
   *   *   *
 3人の選手の言葉を紹介した。あらためて思えば、オリンピックをはじめスポーツの現場で選手たちの言葉が強く印象付けられるのは、彼らが積み重ねてきた時間が濃密に込められているからだ。日々の努力や心情、その歩みがその言葉の背景にある。ときには、その競技の歴史もそこに含まれる。それらが、言葉の力となる。

 リオデジャネイロでもまた、選手やコーチたちはさまざまな言葉を発し、結果によらず、それが刻まれるに違いない。そんな言葉もまた、スポーツの魅力の一つである。
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著者プロフィール

1967年、東京都生まれ。フリーライター・編集者。大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後「Number」の編集に10年携わり、再びフリーに。五輪競技を中心に執筆を続け、夏季は'04年アテネ、'08年北京、'12年ロンドン、冬季は'02年ソルトレイクシティ、'06年トリノ、'10年バンクーバー、'14年ソチと現地で取材にあたる。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)『フライングガールズ−高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦−』(文藝春秋)など。7月に『メダリストに学ぶ 前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)を刊行。

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