日本女子ボクシング界の労苦と希望 五輪出場ゼロ 狭き門を通過できない理由

善理俊哉

出遅れなかった日本女子だが……

今回のリオ五輪でも女子の代表はゼロ。日本女子の夢が叶わなかった理由は何だったのか 【写真は共同】

 リオデジャネイロ五輪予選を兼ね、5月にカザフスタンの首都アスタナで開かれた第9回女子世界ボクシング選手権で、日本は五輪出場の条件だった表彰台入りをはたせずに全員敗退。女子ボクシングにおける日本代表第1号は今回も現れなかった。

 五輪出場者ゼロ――。なぜ日本は五輪に出られないのか?

 五輪種目における日本女子ボクシングの歴史は、ようやく20年と浅いが、決して出遅れたほうではなかった。1904年のセントルイス五輪で男女そろって公開競技として行われたボクシングだが、男子のみが正式種目に採用。以後も基本的に女子は世界中で禁止されていた。

 それが、1990年前後にプロボクシング界でモハメド・アリの娘、レイラ・アリ(米国)らが活躍して追い風が吹き、2001年にはアマチュアボクシングの第1回女子世界選手権も米国スクラントンで開かれた。しかし、1996年に始まった初期の全日本大会は、主婦の原千恵さんが日本アマチュアボクシング連盟(現・日本ボクシング連盟)の反対を押しきって敢行した非公認のスパーリング大会。多田悦子(西宮協会)が2001年に第1回アジア選手権でフライ級の銅メダルを獲得したことが公認の決め手となったが、風向きが大きく変わることはなく、国際大会への参加は間もなく滞った。

 2009年に女子ボクシングが五輪種目として採用されるまで、全日本大会のトーナメントは決勝戦まで開く予算がなく、欧米やアジアの強豪国に、充実度で劣っていたのである。

参加枠が少ない理由

期待に答えられず、リオ五輪予選で敗退した和田(右)は東京五輪でのリベンジを誓った 【AIBA(国際ボクシング協会)】

 もうひとつの壁として、五輪の枠が極めて少ないことがある。そもそも女子ボクシングは、強引に正式種目にねじ込まれた。五輪ボクシングの統括組織であるAIBA(国際ボクシング協会)は「男子だけでもボクシング競技は実施期間が五輪種目で最も長く、開催国への負担が大きい」ことがあるため、女子を採用するために男子からフェザー級をカット。その代わりに、同級の36枠を3等分し、女子フライ級、女子ライト級、女子ミドル級を設けた。それぞれの階級の前後には、実施されていない階級が2つずつあり、その階級の競技者たちは、五輪のために不自然な減量か増量を行わなければならないのだ。

 今年の世界選手権には、フライ級で和田まどか(21=芦屋大学)、ライト級で箕輪綾子(28=フローリスト蘭)が出場した。和田は、カウンターの才能が光る空手出身者で、2013年の世界選手権済州島大会ではライトフライ級で銅メダルを獲得。日本人で初めて世界選手権の表彰台入りをはたした逸材だった。また箕輪も空手出身で、フライ級、バンタム級、ライト級を股にかけて変幻自在に戦い、全日本選手権を史上最多の7連覇したベテラン。双方とも、世界選手権では1回戦の勝利を僅差で逃したのだが、和田はフライ級へのビルドアップがギリギリ間に合った段階で、箕輪も本来はバンタム級が主戦場だった。

階級関係なしで戦う箕輪もロンドン五輪出場選手アレクシスにポイント負け 【AIBA(国際ボクシング協会)】

 それぞれ、国際大会で1度も勝ったことのない階級で、12個ずつしかない五輪枠を狙うという苦し紛れな状況だったのだ。

 4年後の東京五輪ではおそらく開催国枠が用意されるため、念願の第1号は現れることになる。しかし、今回までに自力で予選通過者を出すことが、4年後の大きな自信になるはずだったが、残念ながら、それは叶わなかった。

若き才能が増えてきたことが今後の希望

プロでも活躍する藤岡奈穂子(右)は、最後の全日本出場の際、日本の希望を感じていた 【写真は共同】

 ただ、今現在も日本は成長を続けている。初めて世界選手権に参加した2008年大会のメンバーである藤岡奈穂子(佐川急便)は、翌年に当時の年齢制限に達して引退を余儀なくされたが、最後の全日本大会では、高校生の出場者が増えていたことに希望を感じた。

「学校のボクシング部に女子が増え始めているなら、教育機関との連携が増えてくる。つまり、選手に予算が生まれてくるんです。今までは有給を取って、年に一度の全国大会に出る社会人ばかりでしたけど、今後はそこから変わってくるかもしれないですね」(藤岡)
 藤岡の読みどおり、この文化は進化を続け、今年は全日本選手権のみならず、高校選抜大会やインターハイでも高校生のトーナメントが決勝戦まで開かれている。

 社会的認知度を高め、男子の環境に近づくことを目標にしてきた女子ボクシング。ロンドン五輪とリオ五輪には間に合わなかったが、4年後の東京五輪ではどれだけの進化を確かめられるか。
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著者プロフィール

1981年埼玉県生まれ。中央大学在学中からライター活動始め、 ボクシングを中心に格闘技全般、五輪スポーツのほかに、海外渡航を生かした外国文化などを主に執筆。井上尚弥と父・真吾氏の自伝『真っすぐに生きる。』(扶桑社)を企画・構成。過去の連載には『GONG格闘技』(イースト・プレス社)での『村田諒太、黄金の問題児』などがある

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