人と馬とで盛り上がる16年春競馬 ひとつ疑問に思う外国人騎手の制限案
ルール変更の、その前の議論の精査を
単純に外国人騎手を排斥すれば発展的な解決が望めるのか? 【スポーツナビ】
ところが外国人騎手の多くは、身元引受人の馬以外にもたくさん乗っています。依頼者からすれば、彼らがより多くの賞金をもたらしてくれるからに他なりません。それは「人を育てよう」といった以前の、成果主義によるものであって、それがもし日本の騎手達にとってマイナスに働いているのであれば、そこを是正するような主張があってもいいのではないでしょうか?
でも、下手な騎手を乗せるな、ならともかく、上手いのに乗せるな、と言うわけにもいきません。だから、仕方がないからルールを設けて、締め出せ、と?
ここで必要になるのはそういう発想ではなく、例えば騎乗技術を覚えるのに3年もの時間を費やす競馬学校生活から卒業後すぐのデビュー、といったプロ騎手になるための“日本独特の流れ”や、受け入れる競馬関係者側の事情、また番組施行上のルール改正(年齢別を併用した見習い騎手戦を一日数鞍程度設けるといったような)などの議論。他にも、競馬界全体の構造上のことも含め、話し合うべき事柄はいくらでもありそうです。
それなのに、そのあたりの議論はすっとばしておいて、いたずらに外国人騎手を排斥する……。それではたして本質の部分(外国人騎手に席巻されている現状)の、発展的な解決が望めるのでしょうか?
単なる排斥ではなく
でも、だからこそ、冷静な議論を重ねて問題の本質に対処すべきなのではないか、と考えます。
冒頭に触れた中山記念と弥生賞。この2レースはデムーロとルメールの騎乗馬1、2着の裏返しでした。2人のおかげで、2週連続で「凄いものを見せてもらった」と感じている競馬ファンは少なくないはず。
そういうレースを間近に見られるのはラッキーなことに違いありません。そんなせっかくのチャンスを、短絡的な発想で奪いかねないルール変更だけは、ちょっと勘弁してほしいかなあ、と思うのですが……。