小塚崇彦、単独インタビュー 引退発表後に語った「氷上を去る」理由

スポーツナビ
 また1人、偉大なスケーターがリンクを去る。小塚崇彦(トヨタ自動車)が3月15日、今季限りで現役引退することを発表した。ここ数年はケガに苦しんでいたこともあり、27歳という年齢を考えれば、予測できないことではなかった。しかし、今後は所属先のトヨタ自動車で「社業に専念する」という決断は多くのファンを驚かせた。アイスショーにも4月17日の『スターズ・オン・アイス』東京公演以外、出演する予定はないという。

現役引退を発表した小塚が「氷上を去る」理由を語ってくれた 【スポーツナビ】

 2010年のバンクーバー五輪に出場(8位入賞)。翌年の世界選手権では銀メダルを獲得し、全日本選手権では1回の優勝を含め、計7度も表彰台に上がった。滑らかで美しいスケーティングは世界でもトップクラスの評価を受けるなど、日本男子のフィギュアスケート界で一時代を築いた。そんな選手がなぜ完全にリンクから離れる決心を下したのか。その真意を聞いた。

ふと感じるものがあった

――まずは現役生活お疲れ様でした。引退を決断するに至った直接的なきっかけは何だったのでしょうか?

 大きな出来事としては、昨年末の全日本選手権のFS(フリースケーティング)で最後のポーズをとった瞬間に、ふと感じるものがあったんです。そのときに「これが引退するタイミングなんだ」と思い、そこから(佐藤)信夫先生に話をして、(所属先の)トヨタの上司に話をし、全日本に出ていた仲間たちに話をし、そういう流れで少しずつ話をしていったという感じです。

――引退することを伝えたときの先生方の反応は?

 信夫先生、(佐藤)久美子先生、(小林)れい子さんの3人ともちょっと感じていたところがあるのかなと思っていて……。演技直前に靴ひもが取れて、後ろで久美子先生とれい子先生がバタバタと「あと30秒だから早くいかないといけない」と言っていたんですけど、信夫先生だけはやけに落ち着いていたんですよね。点数なんていいから、1点なんかいいからと言っているような。何かを感じていたのか、こんなことでバタバタするのも嫌だし、「崇彦にちゃんと演技をさせたい」という思いがあっての落ち着きだったんじゃないかと僕は思っています。そういう部分は信夫先生の経験だなと思いますし、深いところですよね。

最後の演技となった昨年末の全日本選手権。靴ひもが取れるアクシデントがありながら、佐藤信夫コーチ(右)は落ち着いていた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

――全日本のFSの前までは、最後の演技になるとは自分では思っていなかったのでしょうか?

 最後かもしれないなとは思っていました。実際にそういうシチュエーションは今までに何回もあったので(苦笑)。「今回が最後かな」と思いながら最近はずっとやってきました。でも終わった瞬間に、本来ならば演技前半で失敗しているし、悔しい感情が出てくるところで、気持ちがシュッと抜けるというかそういう状態になってしまったので、「これが終わるタイミングなんだな」と思ったという感じです。

――引退を決めて、いろいろな言葉をかけられたと思いますが、その中で印象に残っているものはありますか?

 本当にいろいろな人から声をかけてもらいました。みんな「崇彦がいなくなるのは寂しいな」とか、「こんなに心強い先輩がいなくなるのは……」って言ってくれましたね。みんなで作り上げてきたこのスケート界から離れるのはちょっと寂しい気持ちもありますけど、いつかは引退するときが来るので。それは僕の体の面でも、気持ちの面でもやりきったということなのかなと。みんなにそういうふうに思ってもらえるだけでも、幸せなスケート人生だったなと思います。

未練はバク宙をできなかったこと?

――ここ数シーズンはケガもあり、苦しいシーズンだったと思うのですが、練習できないときは何を考え、どう過ごしていたのでしょうか?

 もともと先天性のものなので、ケガなのか病気なのかというのもあるんですけど、そこはもう割り切っていましたね。今そのときにやれることをやるしかないと思っていたので。もちろんリハビリもしましたし、トレーニングもしました。できる範囲で体を動かして、氷に戻ったらすぐにちゃんとできるように、ケアもしながらやっていました。

――「やりきった」とおっしゃっていましたが、未練は全くなかったですか?

(演技中に)バク宙はやりたかったなと思います(笑)。でも、それ以外は本当にないです。

――2年ほど前にお話しを伺ったときは「世界の舞台でもう1度完璧な演技をしたい」とおっしゃっていましたが、それは残念ながらかないませんでした。

 1度だけ2014年の全日本のFSで、これ以上にない演技もできましたし、そういうプログラム(『イオ・チ・サロ』)にも出会えましたからね。確かに世界の舞台ではなかったですけど、全日本であれだけ気持ちのこもったスケートができたので、これ以上欲を出してもしょうがないだろうという思いもあります。

『イオ・チ・サロ』は小塚にとって特別なプログラムだ。14年の全日本選手権では会心の滑りに思わずガッツポーズ 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

――やはり、あの全日本での演技は思い出に残っているのですね。

 最近で1番良かった試合ですから、そういった意味では鮮明に覚えていますね。

――プログラムへの思い入れも強かったのではないでしょうか?

『イオ・チ・サロ』は、僕をすべてきれいにまとめあげて作ってもらったプログラムなんです。あれは本当に僕にしかできないプログラム。基本的に僕はどのプログラムにも思い入れはあるんですね。ただ、曲がどうとかというわけじゃなく、『イオ・チ・サロ』は僕にしかできないと思えるようなものだったという意味で、特別なプログラムだと思っています。

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