若返りだけではない、なでしこ復活の条件 安易な「世代交代」に待ったをかける理由
世代交代は必要だけれど先決ではない
リオ五輪出場を逃したなでしこが、再び強くなるために必要なことは何なのか? 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
この大会中、私にとって最も予想外だったことは、リオ五輪への道が途絶えた後のなでしこジャパンに対する、観客からの温かい激励だった。
どんなチームも永遠に勝ち続けるわけではなく、またどんなチームも負け続けるわけではない。なでしこジャパンにとって今大会の2敗は、これからもたくさん勝って、たくさん負ける中の2つでしかない。だから、選手が次に向かって気持ちを切り替えることは正しい。そんな選手たちに向けて、全力で励ましの声を届けたサポーターの姿勢を、アスリートを支えるこの国の文化として、私は自身の心にしっかりと刻みたい。なでしこジャパンが近い将来、再び世界の頂点を争う日を迎える時、きっと多くの人が今大会を支えた観客たちを思い出すだろう。そして世界中が「日本はブーイングではなく、寄り添う心で選手を育てた」という物語を、尊敬とともに語らうことだろう。
チームが再び強くなるために必要なことは、もう一つある。チームを立て直すための問題提起だ。
多くの人が、なでしこジャパンの敗因について「世代交代の遅れ」を指摘している。世代交代が進まなかったことは明らかな事実だが、かといって、世代交代すれば勝てる(現実と理想のギャップが埋まる=問題が解決する)という考えも早合点ではないだろうか。会社などの組織でも、または個人でも、問題を解決しようとする際、このように「問題は何か」を認識することなく、ただ目につきやすい事実を取り除くだけで解決したつもりになるのは危険なことだ。
世代交代は必要だけれど、世代交代が先決ではない。これが私の意見だ。なでしこが理想のチームを維持できなかった本当の理由は、技術・戦術がどんどんアップデートされていく世界の女子サッカー情勢への対応が遅れたこと。そして、ベテランの経験に依存しなければ勝てないチームになってしまったこと。この2点だと私は考えている。
女子サッカーの進化に先鞭をつけたなでしこ
北京五輪で先進的なサッカーを披露したなでしこたち。しかし、その後は進化の流れに乗り遅れてしまった 【写真:アフロスポーツ】
「日本が披露しているのは、未来の女子サッカーだ」と、北京五輪で金メダルに輝いた米国のピア・スンダーゲ監督(当時)はなでしこを褒め称えた。そのなでしこが、ドイツ・ワールドカップ(W杯)で優勝し、ロンドン五輪で銀メダルの花を咲かせると、今度は競技関係者ばかりでなく、サッカーを楽しむ一般のファン層にまで、なでしこのサッカーのエンターテインメント性が受け入れられた。すると各国とも、急速に女子サッカーに力を入れるようになる。このリオ五輪予選を戦ったアジア各国も、例外ではない。
なでしこから刺激を受け取った各国は、体格に依存した旧来的なサッカーからの脱却を試みた。ちょうど男子のサッカーも、身体能力ではなく運動能力、フィジカルではなくフィットネスが選手強化の合言葉になった時代。男女ともに最高峰のチームは、総じてアスリートとしてのフィットネス能力に長けた選手がそろうようになった。
女子サッカーの進化に先鞭(せんべん)をつけた当事者である、なでしこジャパンと佐々木監督。だが皮肉にも、この流れに次第に乗り遅れるようになった。他国の成長が予想以上に速かったと、佐々木監督もW杯カナダ大会で認めている。メディアは「素早いパスサッカー」をなでしこの代名詞に用いたが、実際のところ自在にパスをつなぐことができたのは、守備が整備されていないチームとの対戦時に限られた。相手の守備の強度が上がると、なでしこの各選手が自由に扱える時間と空間がこれまでになく限定された。そうして精度を欠いたり、弱気になったり、または逆に同じプレーに固執したりしてミスを重ねるシーンが目につき始めた。