16番のように、10番を大島の色に 川崎の背番号にまつわるストーリー

江藤高志
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大きな驚きを与えた新体制発表

16番の価値を自ら育ててきた大島。今季からは10番を背負う 【写真:FAR EAST PRESS/アフロ】

 川崎フロンターレの2016シーズンの背番号が発表された1月17日の新体制発表会見でのこと。2009年に加入して以来、23番をつけてきた登里享平が今季から2番を背負うことが発表された時、場内には悲鳴混じりの歓声が上がった。サポーターにとって登里と23番は不可分に結びついたイメージで、同時にレジェンドである伊藤宏樹がつけていた2番を継承することの重みが、サポーターの反応の理由だった。

 その登里の2番へのリアクションと同等か、それ以上の反応が沸き起こったのが10番の発表だった。チーム創設以来、川崎の10番はブラジル人選手が背負っており、その10番を大島僚太が引き継ぐことはサポーターにとって大きな驚きだった。

 場内の反応の理由の一つはサポーターの16番への愛着だろう。16番の価値は大島自身が育ててきたからだ。

 09年に加入した登里から遅れること2シーズン。11年に大島は静岡学園高から川崎に加入したが、当時の背番号は30番だった。大島は12年の4月からチームを率いる風間八宏監督の指導のもと、チームの主軸選手として急成長してきた。13年に16番へと背番号を替えたのは、その活躍が認められたから。つまり、大島が成長した結果で手にしたのが16番という番号で、それは例えば中村憲剛の14番のような存在になるのだろうと受け止められていた。

 その大島の10番への変更は、強化部からのオファーがきっかけだったという。この件について庄子春男GMに話を聞くと「10番は(大島)僚太しかいない。それくらいの働きをしてくれるようになった。自覚が出てきたと思う。10番にふさわしいということで打診しました」と述べた。
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著者プロフィール

1972年、大分県中津市生まれ。工学院大学大学院中退。99年コパ・アメリカ観戦を機にサッカーライターに転身。J2大分を足がかりに2001年から川崎の取材を開始。04年より番記者に。それまでの取材経験を元に15年よりウエブマガジン「川崎フットボールアディクト」を開設し、編集長として取材活動を続けている。

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