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“ミスター社会人”西郷泰之の“結”
いつか恩返しを―波乱万丈の現役25年に幕
社会人野球25年の現役生活にピリオドを打った“ミスター社会人”西郷泰之
社会人野球25年の現役生活にピリオドを打った“ミスター社会人”西郷泰之【スポーツナビ】

「金属(バット)のときにあと1、2本打っていればね(笑)。もうちょっとやっておけば良かった、ということはたくさんあります」


 端正な表情で、穏やかに笑う。西郷泰之。都市対抗野球で歴代1位タイの14本塁打を記録し、他チームへの補強も含め、都市対抗での優勝が6回。43歳の今季まで25年間プレーを続けた“ミスター社会人”である。1996年のアトランタ五輪で銀メダルを獲得するなど、国際経験もきらびやかだ。11月に、現役引退の記者会見を行った。

最多タイの都市対抗14本塁打

左打席から広角に打ち分ける巧打と甘いボールはスタンドへ運ぶパワーを兼ね備えた西郷は都市対抗最多タイの14本塁打を放った
左打席から広角に打ち分ける巧打と甘いボールはスタンドへ運ぶパワーを兼ね備えた西郷は都市対抗最多タイの14本塁打を放った【写真は共同】

 通算本塁打1位に並んだのは、2012年の都市対抗だった。だが13年以降は、記録更新が注目されながら不発。14本塁打の内訳は、金属バット使用の01年までが5本、木製バットに変わった02年以降が9本だから、「金属の時代に……」というわけである(ちなみに最多タイの杉山孝一は、14本すべてを金属バットで記録)。


 ただ、

「僕は、厳密にはホームラン打者じゃない」

 と西郷はいう。


「ホームラン打者というのは、コンッと当たった瞬間にホームランの角度で上がる。僕の場合は、いいポイントでとらえ、うまく運べた打球がホームランになる。運ぶ、というのは、ボールをバットに2回当てるような感覚です。打ったあとのゴルファーが、ボールの先のターフを取る、あんなイメージ」

セレクションで「人生一番の打撃」

 起承転結の”起”は、東京・日本学園高時代だった。投手兼外野手として、西東京大会の4回戦で高校野球を終えた3年の夏休み、三菱自動車川崎(当時、のち三菱ふそう川崎)のセレクションを受けるチームメートに付き合った。すると、「フリー打撃をさせてもらったら、ほとんどがホームランでした。野球をやってきた35年間で、あの日が一番いいバッティングができた(笑)」という西郷が、友人を尻目に合格。思いもしなかった社会人野球の世界に飛び込むことになる。


 すぐに打者に専念すると、「2、3年でクビになる」という危機感から、がむしゃらに練習した。結果が出始めたのは4年目の94年で、同じ神奈川の強豪・東芝に補強された西郷は、都市対抗で代打タイムリーなどを記録。チームに戻ったあとは、主軸を任された。


「あれは大きな自信でしたね。自分のチームでは、試合に出たり出なかったりなのに、強豪が補強してくれたんですから」

アトランタ五輪で銀獲得に貢献も…

日本代表としても活躍した西郷(一番右の背番号8)。アトランタ五輪では後にプロでも活躍する松中、谷、井口、福留、今岡らと銀メダルに貢献した
日本代表としても活躍した西郷(一番右の背番号8)。アトランタ五輪では後にプロでも活躍する松中、谷、井口、福留、今岡らと銀メダルに貢献した【写真は共同】

 翌95年には日本代表に抜てきされ、96年のアトランタ五輪で打率4割8分1厘の高打率を残し、銀メダル獲得に貢献、とストーリーは続く。だが松中信彦、谷佳知、井口資仁、福留孝介、今岡誠ら五輪のチームメートが次々にプロ入りするなか、なぜか西郷にはお声がかからない。翌年も、翌々年も、だ。全日本でも実績を残しているのに、なぜ……。


「アトランタのあと1、2年は、野球に嫌気がさしていたんですね。どれだけ打ったらプロが認めてくれるんだ、あるいはなぜ野球をやっているんだ、と疑問を感じ、当時の監督に”辞めさせて下さい”ともらしたこともありました」

楊順行
楊順行

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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