遠藤保仁と小笠原満男の経験の厚み Jリーグの最前線を走り続けられる理由
エリート集団のなかの非エリートだったふたり
J1リーグ通算出場試合数で歴代3位タイの501試合を記録している遠藤 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】
日本サッカーに新たな地平を開いた黄金世代のなかでは、必ずしもメインキャストでなかったふたりである。同世代のリーダー格は小野伸二であり、稲本潤一(ともに札幌)であり、高原直泰(相模原)だった。言ってみれば遠藤と小笠原は、「エリート集団のなかの非エリート」だったのである。
それがどうだろう。
2015年10月29日現在のJ1リーグ通算出場試合数で、遠藤は歴代3位タイの501試合を記録している。同世代では断トツのナンバー1だ。
黄金世代で遠藤に続くのは小笠原と曽ヶ端準(鹿島)である。こちらは歴代8位タイの462試合に出場している。
小野、稲本、高原、中田浩二らは海外で長くプレーしていたため、J1での実績に空白期間が生じている。だが、遠藤と小笠原が作り上げてきた数字は、毎シーズンの稼働が大前提だ。ケガによる長期の戦線離脱がなく、監督が代わっても必要とされてきたからこそ、彼らはJ1の歴史に名を刻んでいるのだ。
「ホントに苦しいときにどうするか」(小笠原)
小笠原は「苦しいときに人間性が出る」と語る 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】
「自分の状態が良い時は、誰だって頑張ることができる。ホントに苦しいときにどうするか。ちょっと試合に出られないだけで愚痴ったり、ふて腐れたりというのは、絶対にやっちゃいけない。『試合に出られなくてもしょうがないな』とか、『誰かレギュラーの選手がケガをしないかな』とか、そういう気持ちでいたら自分が成長できない。試合に出られない悔しさを抱きつつ、自分の頑張りでポジションを奪い取る。そういう気持ちで、僕はやってきた」
「段階を踏んできた」と、遠藤は語る。
「プロに入ったばかりのころは、『15年間はトップレベルでレギュラーをつかんでいたい』というのが、漠然とした思いでした。とは言っても、『まずは試合に出る』『次にレギュラーをつかむ』『翌年もまたレギュラーとして試合に出る』『その翌年もまた……』と、段階を踏んでいかないといけない。目の前の目標をひとつずつクリアしていったらいまに至っている、という感じで」
用意した言葉こそ違うものの、胸中に宿る思いは共通する。
自分に妥協しない。
限界を設けない。
アスリートなら誰もが心に刻むフレーズを、彼らは日々の練習を通して磨き上げてきた。今日も、明日も、磨き上げていく。