川崎フロンターレの陸前高田での取り組み 被災地支援から新たな交流へ

宇都宮徹壱

川崎フロンターレと陸前高田市が提携

提携締結の記念撮影に笑顔で臨む陸前高田の戸羽市長(左)と川崎の藁科社長 【宇都宮徹壱】

 米国ニューヨークでの同時多発テロ事件から14年となる9月11日は、東日本大震災発生からちょうど4年半に当たる。地震と津波による死者・行方不明者が1700人以上、人口のおよそ7%が犠牲となった岩手県の陸前高田市では、この日、ある画期的な記者会見が行われた。震災直後から定期的に復興支援活動を続けてきたJ1の川崎フロンターレと同市との間で、『高田フロンターレスマイルシップ』という友好提携が締結されたのである。会見が行われたのは、プレハブ建築の仮設市役所。自身も震災で夫人を亡くしている戸羽太市長、そして川崎の藁科義弘社長らが登壇した。

「フロンターレの支援活動は復興への弾みになると確信している。これほど地域に溶け込んでくれたプロスポーツチームが他にあっただろうか」(戸羽市長)

「われわれの活動は、陸前高田でのファンの獲得とか、ここでお金をもうけたいといったことは考えていない。ただ、この地域の皆さんの笑顔を作りたい」(藁科社長)

 それぞれのあいさつの後、戸羽市長と藁科社長が協定書にサイン。両者の提携締結により、以下のことが決定した。

(1)クラブロゴ、エンブレム、選手肖像権の使用許諾
(2)ホームゲーム時に陸前高田市の観光・物産PRイベント『陸前高田ランド』を開催
(3)フロンターレ算数ドリル(後述)の提供
(4)フロンターレ選手によるサッカー教室の開催
(5)陸前高田市民を川崎に招いての『かわさき修学旅行』の開催

(1)と(3)に関しては、クラブのホームタウンである川崎市と同等の権利が与えられることを意味する。(2)については、11月22日に等々力陸上競技場で開催されるホームゲームで、第1回の『陸前高田ランド』が予定されている。そして(4)と(5)は、2011年から毎年続けている活動であり、今後も継続していくことが明記された。震災発生から4年半が経過し、記憶の風化とともに復興支援の継続性は極めて難しいものとなっている。ところが川崎と陸前高田の場合、そうした時代の流れから逆行するかのように絆をますます深め、今回の提携締結の日を迎えることとなった。

きっかけは『算数ドリル』

川崎の天野さん(右)と陸前高田の濱口先生。両者を結んだのは算数ドリルだった 【宇都宮徹壱】

 川崎市と陸前高田市とは、およそ400キロの距離がある。私は今回、現地での会見と懇親会に向かう川崎のスタッフ(関係者、サポーター含めて総勢19名)に同行する形で取材をさせていただいたのだが、東京駅から一ノ関駅まで東北新幹線で2時間20分、そこからレンタカーを走らせること1時間弱、合計3時間以上の時間を費やした。震災がなければ、これほど距離が離れた両者が出会い、交流が生まれることはなかっただろう。

「この活動を始めた頃、川崎を知っている子どもたちがあまりに少ないのでびっくりしました。サッカーをやっている子は、フロンターレというJ1チームがあることは認識していましたが、それ以外の子たちはほとんどが川崎を知らなかった。中には『(一ノ関市の)川崎町?』という答えも返ってきて(苦笑)。ですので、支援活動のひとつに『かわさき修学旅行』を入れたのは、そうした理由もあったんですよ」

 そう語るのは、プロモーション部部長の天野春果さんである。川崎の選手を全面に押し出したユニークな教材『算数ドリル』をはじめ、数多くの話題性あふれるプロモーションやイベントを企画したことで知られる天野さんは、川崎が継続している震災復興支援活動『Mind−1(マインド・ワン)ニッポンプロジェクト』でも中心的な役割を果たしている。それにしても、それまで互いのことをほとんど知らなかった川崎と陸前高田を結びつけたものは、何だったのだろうか。天野さんによれば「きっかけは算数ドリル」だったという。

「陸前高田の小学校に、濱口(智)先生という方がいらっしゃるんですが、津波で教材が流されたので送ってほしいという連絡を、川崎市内で教員をされている方を通じて知ったんです。それで算数ドリル700冊に(中村)憲剛がサインを入れてくれて、現地まで持って行きました。震災からまだ1カ月、交通インフラが寸断されていたので、車で10時間以上かかりましたね」

 これが、川崎と陸前高田とのファースト・コンタクトとなった。やがて、川崎の選手を現地に派遣して年に1回のサッカー教室を開催したり、陸前高田の子どもたちを等々力でのホームゲームや『かわさき修学旅行』に招いたり、という行き来が続くうちに「一緒に合同イベントができないだろうか」という話に発展。最初はクラブと地元住民とのディスカッションだったが、それが戸羽市長の耳にも入り、「なぜ川崎なのか、大義名分があった方がいい」ということで今回の提携締結へとつながった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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