川崎フロンターレの陸前高田での取り組み 被災地支援から新たな交流へ

宇都宮徹壱

ドリームマッチを夢見ながらの草むしり

上長部のグラウンドで草むしりに没頭する川崎のスタッフ。作業中も笑いが絶えない 【宇都宮徹壱】

 会見翌日の12日は、前日の雨模様から一転、抜けるような秋空が広がっていた。この日、川崎はヴァンフォーレ甲府とのアウェー戦があり、数人のスタッフとサポーターが準備のために離脱。残ったメンバーは、気仙町の上長部(かみおさべ)地区に作られた天然芝グラウンドに向かった。このグラウンドは、もともとは住宅街だったのだが、津波によってすべてが流されてしまっていた。震災後、JFA(日本サッカー協会)復興特任コーチだった加藤久さん(現・ジュビロ磐田GM)が発起人となり、JFAの支援により4万株の芝が植えられて、サッカーと野球兼用のグラウンドに生まれ変わった。

 実は川崎は来年の夏、このグラウンドで『スマイルドリームマッチ』というイベントの開催を計画している。16年はクラブ設立から20年、そして震災発生から5周年という節目の年でもある。そのタイミングで、上長部のグラウンドでJ1クラブ同士の試合を開催すれば、陸前高田の人々も喜ぶだろうし全国レベルでの話題にもなるだろう。しかし実現に向けては、いくつもの課題があると天野さんは語る。

「ご覧のように、けっこうピッチがでこぼこなんですよね。去年、ウチの選手にも見てもらったんですが『僕らもやりたいけれど、この状態だとけがのリスクがある』と言われてしまいました。ここでJ1レベルの試合をするには、まずはピッチを整備して、それから仮設のスタンドも建てなければならない。思い切りハードルが上がりましたね」

 とりあえずグラウンド整備に関しては、京都在住の芝生アドバイザー、松本栄一さんの協力を仰ぐこととなった。松本さんは加藤さんとともに、上長部のグラウンド整備に尽力しており、「芝生の神さま」という異名を持つ。たまたまグラウンドを視察した際に、天野さんは松本さんと運命的な出会いを果たし、「情熱と協力者の確保ができれば(ピッチを平らにするのは)可能です」という神さまの言葉に勇気を得て、この難しいミッションを実現させる決断を下した。新たな種まきを行うのは10月6日。しかしグラウンドには、あちこちで雑草が生えているので、まずはこれらを除去する必要がある。

 朝の8時半から、川崎のスタッフによる草むしりが始まった。「クラブによる地域貢献」と言ってしまうと珍しい話ではないが、ここはホームタウンから400キロも離れた陸前高田で、しかも今日は試合日だ。それでも川崎のスタッフは一切迷うことなく、時おり冗談を交えながら喜々として草むしりに没頭する。私もお手伝いしたのだが、来年の夏にこのグラウンドで、大久保嘉人や小林悠やエウシーニョがプレーするのかと思うと、何やら無性にワクワクしてくる。やがて地元の人々も三々五々にボランティアの輪に加わり、笑いの絶えない草むしり作業は11時まで続いた。

新たな局面を迎えた陸前高田との関係

地元の川崎ファンの案内で被災地を見学。陸前高田の復興はまだ道半ばである 【宇都宮徹壱】

 この日の川崎スタッフの活動は、グラウンドの草むしりだけにとどまらなかった。今年11月に等々力で行われる『陸前高田ランド』に出店する会社にあいさつ回りをしたり、地元の川崎ファンの案内で復興の様子を見学したりと実に盛りだくさん。いずれも、地元の人々との交流と理解を深めることが目的であることは明らかだ。「こんにちは! 川崎フロンターレです!」とあいさつすると、誰もが「わざわざ遠いところから来てくれて」と笑顔で応える。陸前高田での川崎の知名度と好感度は、間違いなくアップしている。

 その一方で、レンタカーの車窓から街の風景を眺めていると、時おり何ともやりきれない想いに襲われる。がれきが撤去されて更地となった土地は、かつての商店街であり、住宅街であった。すっかり変わり果てたふるさとに、巨大なダンプカーやショベルカーが行き来する光景は、いくら日常的になったとはいえ地元の人々にとって辛いものであったはずだ。だがそれ以上に辛いのは、時間の経過とともに震災の記憶の風化が進み、被災地への関心が薄れていくことではないか。そう考えると、4年半にわたって『Mind−1ニッポンプロジェクト』を継続してきた川崎の姿勢には、本当に頭が下がるばかりである。

「実は私自身、この支援を続けていくべきかどうか、悩んだ時期があったんですよ」と、天野さんが意外なことを打ち明けてくれた。自分たちの活動がかえって被災地の人々に負担になっているのではないか──震災から翌年の夏のことである。天野さんが相談したのが、前出の濱口先生。悩みを聞いた先生の答えは、実に明快であった。「そうやって悩みながら続けてくれるから、僕らは付き合えるんですよ」。その言葉で、天野さんは迷うことはなくなったという。もっとも当の濱口先生は、川崎と出会うまではまったくサッカーにもJリーグにも関心がなく、「地域密着とかホームタウン活動といったJリーグの理念というものは、フロンターレを通じて初めて知りました」と笑いながら語る。

 陸前高田での川崎の活動は、もちろん狭義の意味での地域密着やホームタウン活動とは大きく異なる。のみならず、今回の提携締結によって、復興支援活動の枠組みからもはみ出そうとしている。いみじくも川崎の藁科社長は「支援から交流へ」と発言していた。いつまでも支援する側・される側という関係ではなく、今後は同じ目線に立って共に歩んでいこう、という意味だ。最初は使命感からスタートした『Mind−1ニッポンプロジェクト』。だが、両者の関係性が「支援から交流へ」変化することで、活動は新たな局面を迎えることとなった。良い意味で先が読めない、川崎のチャレンジ。今回のケースは、Jクラブの新たな社会貢献のあり方として、もっと注目されてよいだろう。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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