武藤雄樹が描いたシンデレラストーリー 予期せぬ代表選出にも変わらないスタンス
転機はビッグクラブへの加入
ファーストステージで浦和の優勝に貢献した武藤は、東アジアカップの日本代表メンバーに選ばれた 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】
過去のキャリアにおいて各年代の代表歴に乏しく、今回のハリル・ジャパンで最も“シンデレラストーリー”を描いた選手は、武藤を置いてほかにはいないだろう。
昨季まで在籍したベガルタ仙台での過去4シーズンで、記録したリーグ戦のゴール数は6。新天地・浦和では優勝に多大なる貢献を果たしたファーストステージだけで8ゴールを積み重ねるなど、半シーズンで自身の通算ゴール数を一気に抜き去った。「今年、浦和に来てタイトルを獲れて本当に良かった。充実した半年を過ごせている」と、武藤自身はスターダムにのし上がったこの半年をそう振り返っている。
“ミシャ・レッズ”からオファーを受けたとき、2つの思いが交錯していたという。
「正直まったく試合に出られないんじゃないかという不安もあった。その一方で、ビッグクラブでプレーできるチャンスはそうそうないし、そのチームでもし結果を残せたら、素晴らしい世界が待っているんじゃないかという理想を追い求めている自分がいた」
浦和への移籍を選択した男は、自身が新天地で輝くために、まずはチームに順応することから心を砕いた。チーム始動日には流通経済大在籍時代の1学年先輩である宇賀神友弥を頼ってトレーニングに汗を流した。日々の練習を過ごす中では、チーム最年長の平川忠亮と親交が深い柏木陽介や、チームの輪の中心である槙野智章と意識的に行動をともにした。
「2人はいつもチームの中心だし、彼らとくっついていることでみんなと仲良くなれるんじゃないかと思っていた。チームのみんなに溶け込むことができたのは、2人が仲良くしてくれたことが大きかったと思う」
柏木は武藤を「絶対的後輩」とみなしてイジり倒し、槙野はシーズン前の鹿児島・指宿キャンプで武藤の髪型を、特徴的な横分けと左右の刈り上げが非対称な“槙野ヘア”に仕立てあげるなど、先輩たちのサポートを借りながら、武藤はチーム内での存在価値を確立した。
「ピッチ外の部分がピッチ内にも出る」という持論を持つ男は、こうして自身が輝くための環境を少しずつ整えていった。
視界が明るく開けた槙野のアドバイス
加入当初はチームのサッカーに順応することに苦慮したが、槙野(右)のアドバイスで視界が開けたという 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】
ピッチ外ではチームに順応していく手ごたえを日に日につかむ一方で、ピッチ内での“ミシャ・レッズ”へのアジャストには、それなりの時間を要した。仙台時代は比較的自由に動き回ってきた武藤にとって、決まりごとの多いミシャ・スタイルでは戸惑うことも少なくなかった。「そこに動くな。それはチームにとってプラスにならない」とプレーを止められて、指揮官に何度も動き方の修正を施されたこともあったという。
それでも必死にミハイロ・ペトロヴィッチ監督の意図を理解しようと、指揮官からの「なんでそこに動くんだ、こっちのほうがいいだろ」という指導にも耳を傾け、トレーニングの中で何度もトライ&エラーを繰り返してきた。分からないことがあれば積極的に疑問点をペトロヴィッチ監督にぶつけ、それでも根気よく指導を続ける指揮官の姿勢がありがたかった。
もちろん、ミシャ・スタイルを知る先輩たちのアドバイスにも耳を傾けてきた。左サイドでコンビを組むことが多かった宇賀神には「(柏木)陽介の場合はこうやっていたよ」と貴重なサンプルを提示された。そして、キャンプ中は二人部屋で過ごす時間の多かった槙野に言われたアドバイスが、武藤は今でも忘れられない。
「ミシャのサッカーに順応することも大事だけれど、おまえの良さを忘れるな。それは仕掛けることだろ? それを忘れたらおまえじゃなくなる」
悩める視界が一気に明るくなった気がした。