キヤノン・小野澤宏時が見据えるもの 37歳のラガーマンが語る、現状と未来

向風見也

国際試合トライ数、世界歴代5位のウイング

日本代表として、ワールドカップでも活躍した小野澤。国際試合トライ数は世界歴代5位 【写真:ロイター/アフロ】

 趣味は競技自転車でのサイクリングだ。静岡県出身のラグビー選手である小野澤宏時は、テストマッチ(国際試合)で日本代表歴代2位の81もの出場数、世界歴代5位の55トライを記録。国内最高峰のトップリーグでは、通算107トライを奪ってきた37歳だ。

 誰が呼んだか「うなぎステップ」。体幹の強さとしなやかな身のこなしで、人垣をするすると突破する。「ものごとは一言では、言い切れなくなっていて」。自らの皮膚感覚をより端的に表現し、かつ誰も傷つけないであろう単語を一つひとつ選ぶ人でもある。

サントリー時代のケガが長引く

 中大卒業後から13シーズンもプレーしたサントリーを去らざるを得なくなったのは、一昨季のオフ。昨季からは、トップリーグ入りして3季目だったキヤノンへ加わる。かつてサントリーを率いた永友洋司監督に請われたのだ。

 しかし、移籍初年度の出場機会はわずか1試合にとどまった。シーズン途中の戦線離脱を余儀なくされる。ひとつのトラブルをきっかけに、すべてのバランスを崩していたのである。

 始まりは、前所属先で最後から2つ目のゲームでのプレーだった。2013年8月30日、東京は秩父宮ラグビー場。NTTコムとのトップリーグ開幕節の前半終了間際、相手に激しくぶつかられながら、片手一本をインゴールへ伸ばす。「ここで取ったら試合が決まるなぁって思ったから……」。ダイブ。着地。左肩の関節部分がタックルの下敷きとなった。トライを奪うと同時に、小野澤は交代した。

 痛みは新天地でも引きずる。腕を大きく振って走れないから、「足の力だけ」で無理に走ろうとしてしまう。今度は膝まで痛くなった。悪循環である。

脱臼を繰り返す左肩を手術

 コンディション不良の本丸である左肩は、癖のような脱臼を繰り返した。「カコッ」。東京は町田にあるキヤノンのグラウンドで、小野澤は何度も自分の体内に鈍い音を響かせることとなる。

「1度目はタックル練習で外れて、2度目はボールゲームで相手にタッチした時に外れて……」

 決定打は、「3回目」だった。

「ブレイクダウン(ボール争奪局面)の練習。相手を逃がさないようにホールドした(抑えた)瞬間に…。手が衝撃で(向こう側へ)持っていかれたんじゃなく、自分で腕に力を入れた瞬間、カコッと」

 シーズン終盤の1月16日。「もう、ダメだ」とオペに踏み切った。全体練習への本格的な復帰は、今季の7月21日まで待たねばならなかった。

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著者プロフィール

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。

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