渡嘉敷来夢、WNBA挑戦の経緯と未来 国内に敵なし、現状打破を求めて海を渡る

小永吉陽子

“今”日本を出るしかなかった

「もう日本にいても伸びしろはない」。渡嘉敷にとって“今”こそ海外に出るべきタイミングだった 【加藤よしお】

 アジアMVPを獲得した活躍からすれば、海外進出はもう1年早くても良かったかもしれないが、14年度はシーズン直後に海外挑戦の準備ができずにお預けとなった。そして昨年秋、自身初出場となる世界選手権で、またも渡嘉敷は課題を与えられることになる。

 実は世界選手権の前に、日本代表の海外遠征で自分より大きな選手との対決に面白さを見いだしていた渡嘉敷は「もう日本にいても伸びしろはない」と口に出し始めていたのだが、舞台が一回り大きな世界選手権では、さらなる衝撃が待ち受けていた。

 チームが機能しなかった日本は3連敗を喫して予選ラウンドで敗退。どこの国と戦っても体格差で厳しい戦いを強いられる日本だが、海外遠征で通用したことが本番で通じなくなっていたのは、大会前にスペインやチェコ、オーストラリア、フランスといった強豪9カ国と対戦したことで徹底的に研究され、足を封じられてしまったからだった。渡嘉敷個人でいえば通用した部分は十分にあったが、厳しいマークにあっては本領発揮とはいかなかった。強豪が集う世界大会においては、スカウティングを上回る対応力がなければ力が発揮できないことを、渡嘉敷は思い知らされたのだ。

 そんな惨敗の中で光明を見いだせたとすれば、「自分が引っ張っていく力が足りないから負けた」というエースとしての責任感が芽生えたことだろう。「体」が万全になった次は「心」の準備が整った。もう渡嘉敷が日本にいる理由はなかった。

背番号7をまとい、開幕スタメンを狙う

世界中からビッグプレーヤーが集まるWNBAで、渡嘉敷はまず12名のユニホーム争奪戦に挑む 【小永吉陽子】

 WNBAは世界各国のエースが集結できるように、世界的にはオフである6〜9月にシーズンが開催される。日本は現在、リーグ分裂問題などにおいて日本協会の統治能力のなさを指摘され、FIBA(国際バスケットボール連盟)から資格停止処分の制裁を受けているが、改革が進んで制裁が解除されれば、8月末に開催されるリオデジャネイロ五輪予選を最大の目標として臨むことになる。その予選にエースなしで挑むことは考えられない。本人も「アメリカでいろんなことを吸収することは、日本代表にとってもプラスになる」との思いがあるからこそ、WNBAへの挑戦を決めたのである。

 渡嘉敷が五輪予選のコートに立つ場合は、WNBAの活動を一時中断することをシアトル側は合意している。自分が抜けた期間にシアトルでの居場所がなくなるかもしれないし、日本代表とは短時間でチームプレーを作り上げなければならず、難しい挑戦になることは間違いない。しかも秋以降は、再びJX−ENEOSの一員としてプレーし、オールシーズンにおいて活動する目標を立てている。これまで経験したことのない過酷なシーズンになる。

 だが長い目でみれば、心身ともにハードな競争世界に身を置くことは、日本に足りなかった対応力とタフネスさ、自己管理能力を身につけるために必要な経験。「世界での戦い方を知らなさすぎた」と痛感した渡嘉敷を一回りも二回りも成長させ、先駆者として国内の選手に示すことにつながっていくはずだ。

 トレーニングキャンプからの参戦といっても、世界中からビッグプレーヤーが集まるWNBAには“安泰”という言葉はない。チームのシステムや生活環境に適応できる姿を見せ、開幕ロスター入りを目指すことが先決となるが、それでも今回のチャレンジには期待が膨らむばかりだ。日本ではお目にかかれなかった“未知”の渡嘉敷来夢に出会うことは、本人だけでなく、日本中のバスケットファンが待望している姿だからだ。

「次に世界の舞台に立つときは“絶対に見返してやる”って誓ったんです。そのためにもアメリカに行くことで満足せずに、やれるところを見せたい。開幕スタメンを狙っていきます!」

 すでにシアトルの公式サイトには、自身で決めた「背番号7」での登録が記されている。6月6日の開幕に向け、12名のユニホーム争奪戦を懸けたティップオフの笛が、今鳴ろうとしている。

2/2ページ

著者プロフィール

スポーツライター。『月刊バスケットボール』『HOOP』編集部を経て、2002年よりフリーランスの記者となる。日本代表・トップリーグ・高校生・中学生などオールジャンルにわたってバスケットボールの現場を駆け回り、取材、執筆、本作りまでを手掛ける。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント