60万人の結束を生み出すために 大神雄子から見た日本バスケ界<後編>
日本での競技人口が60万人を超えるバスケットボールの未来を想い、プレーにとどまらぬさまざまな活動を続ける女子代表の大神キャプテン 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
大神雄子は世界に飛び、たくさんの困難にぶつかることで、さまざまなものを得てきた。米国でバスケをはじめ、日本代表としての地位を確立した後は米国(WNBA)や中国(WCBA)のチームでプロとしてプレーした。日本女子の現役選手ではただ一人、プロの厳しさと理不尽、何より素晴らしさを味わった存在でもある。
彼女を含む女子バスケットボールのトッププレーヤーたちは情勢が不透明な中でも、15年8月から始まるリオデジャネイロ五輪予選に向けて、鍛錬を続けている。過去への釈然としない思いや、すぐに解決しない課題はある。しかし今はまず戦いの場にたどり着き、バスケットボールファミリーの想いをつなげることが最優先だ。日本でプレーしている“60万人の想い”をつなぐための決意と、呼びかけを、大神に語ってもらった。
「外国選手とのぶつかり合いができないのは問題」
日本バスケの現状に「外国の選手とのぶつかり合いができないのは問題」と眉をひそめた大神(右) 【Getty Images】
バスケットボールって相手との距離がすごく近いんですよ。ぶつかってナンボのスポーツですが、海外にいくと192センチの渡嘉敷(来夢)より大きい選手が普通にいる。でも、(渡嘉敷は)世界選手権の前に何回か海外遠征を経験して感覚をつかむことができた。それがそのまま意義だと思います。だから(リオ五輪予選の)準備期間に、外国の選手とのぶつかり合いができないのは問題です。そういう部分を言うなら、何故リーグに外国人を入れないのだろうというのもありますが……。(編注:WJBLは1992年から外国選手を受け入れていない)
――大神選手自身が、米国や中国の経験から得たものはありますか?
まずバスケットを始めたのが米国です。08年にWNBAへ行ってからは09年、10年、11年とトレーニングキャンプに4回参加させてもらいました。そのうち3回は解雇されて帰ってきたんですけれど。あと13年が中国です。
初めて米国に住んだのは小学2年生から3年生の1年間です。父(大神訓章・山形大学女子バスケットボール部監督)がUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)でバスケットのコーチングを学ぶということになり、家族全員で付いて行きました。マンションの向かいにスポーツセンターがあって、いろいろなスポーツ教室をやっていました。そこでバスケットとスイミングと両方やって、NBAに魅せられてのめり込んで、最後はバスケットだけになったんです。
感覚的に(日本でしかプレーしていない選手とは)違いますよね。一つのシュートを決めればガッツポーズとか、他の人よりは大げさに出していたと思います。日本はやる人が少なかったから、ちょっと調子に乗ったタイプになっちゃったのかなと思います(笑)。
あとは自分で主張する部分ですね。今はこうやって話せるんですけれど、WNBAに行った最初の頃は人見知り全開だったんですよ。