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復活期す村澤「自分の走りを高めたい」
苦悩の2年を超えて新たな挑戦の年に

復調の兆しが見える今季

「やっとここまで来た」と復調を口にする村澤。それは、ここまでの2年間、本来の走りができないことへの苦悩があったからだ
「やっとここまで来た」と復調を口にする村澤。それは、ここまでの2年間、本来の走りができないことへの苦悩があったからだ【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

「最近になって体の状態と自分の走りの感覚が合ってきました。この2年間、その点で苦労しましたが、今は練習でも“こういう体の動かし方をすると、この部分の筋肉を使う”といった感覚がイメージ通りなんです。この感触は久しぶりです」


 社会人3年目のシーズンを迎える陸上男子長距離の村澤明伸(日清食品グループ)は、明るい表情で話す。


 2011年には日本選手権1万メートル2位、12年には同種目でこの年の日本ランキング3位となる27分50秒59のタイムで走った村澤だが、その後の2年間はトラックで思うような結果を残せなかった。


 駅伝ではそれなりの走りを見せていたが、東海大時代、圧倒的な強さを見せていた村澤の姿からすれば物足りなさは否めず、本人もその結果には満足していない。しかしようやく復調の兆しが見えてきた。


「やっとここまで来たという感じです」


 そう語る横顔はこれまでの苦悩が長かったことをうかがわせた。

体の声に耳を傾けられなかった

大学4年時に左足アキレスけんを痛め、箱根駅伝予選会を欠場。その後も本来の走りに戻らなかった
大学4年時に左足アキレスけんを痛め、箱根駅伝予選会を欠場。その後も本来の走りに戻らなかった【写真は共同】

 長い不調のきっかけは3年前の夏に左足アキレスけんを痛めたところから始まった。東海大4年のことである。


 高校時代の恩師でもある両角速東海大駅伝監督は「将来を考えて」と、この年の箱根駅伝予選会では村澤を欠場させ、その後のレースも回避。回復に努めた。だが痛みが引いた後も、村澤本来の走りは戻ってこなかった。

「無意識に左足をかばっていたのかもしれません。練習した翌日に自分でもよく分からないところに疲労が出ることも多く、どういう形で練習をやっていけばいいのか見えない時期もありました」


 この“感覚と体がかみ合っていない”という状態は社会人になってからも続いたが、練習のペースを落とすことはできなかった。チームの先輩である佐藤悠基(日清食品グループ)は日本選手権を勝ち続け、高校の後輩、大迫傑(現ナイキ・オレゴン・プロジェクト)も破竹の勢いで成長していた。


「自分も負けたくない」という思いを抑えることができず、自己ベストを出した時の感覚を求め、練習でも設定タイムを上げた。体の声に耳を傾けるのではなく、過去のイメージ、そして過去の練習日誌に記された練習メニューを追い続けてしまったという。

焦りがなくなり本来の走りに戻り始める

元日の全日本実業団駅伝では最長区間の4区を力走。その後、インフルエンザやけがをわずらうも、焦らず順調にトレーニングが積めていると話す
元日の全日本実業団駅伝では最長区間の4区を力走。その後、インフルエンザやけがをわずらうも、焦らず順調にトレーニングが積めていると話す【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 そして昨年5月、再度、左足に痛みが出た。微妙に場所は異なるが、同じアキレスけんだった。

「しかし焦りから痛みが引いたらすぐに走り出し、また痛みが出てということを繰り返してしまいました。結局、しっかり治って走り出したのは9月からです。

 最近ですね、焦ることなく自分の体と正直に向き合い、練習に集中できるようになったのは。今は練習でもきつい時はきついとスタッフに言えますし、無理することもなくなりました」


 この冬は元日の全日本実業団駅伝後、インフルエンザに罹患(りかん)したことに加え、練習中に軽く足首をひねったこともあり、1月は練習を休んだ。2月に入ってからクロスカントリー走を中心に走り出し、3月からスピード練習を開始。順調にトレーニングが消化できているだけでなく、精神的に焦りがなくなったこと、そして冒頭の言葉通り、自分の走りの感覚が戻ってきていることが何よりうれしいと話す。

加藤康博
1976年埼玉県生まれ。スポーツライター、ノンフィクションライター。国内外の陸上競技に加え、サッカー、ラグビー、アメリカンフットボールといった“フットボール全般”の取材をライフワークとする。スポーツだけでなく、「スポーツの周辺にある物事や人」までを執筆対象としている。著書に『消えたダービーマッチ』(コスミック出版)

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