“苦しむ名門”帝京サッカー部の現状 選手権の舞台に返り咲く日を目指して
5年連続予選敗退、OBも「寂しい」
14年度の選手権予選は都大会1回戦敗退。名門・帝京が苦しんでいる 【スポーツナビ】
準優勝、ベスト8、ベスト4、ベスト4、1回戦敗退。これも高校選手権において、第89回大会(2010年度)から第93回大会(14年度)までの最近5年間で帝京が残した成績である。ちょうど30年の時を経て比較した“5年間”が、一見似通った成績ながら決定的に異なるのは、前者が全国大会での、後者が東京都予選でのそれだということである。
胸に輝く9つの星が表しているように、選手権と高校総体を合わせて過去9度の日本一を経験(選手権は6回、高校総体は3回)。その鮮やかな黄色のユニホームから『カナリア軍団』と称され、高校サッカーの代名詞的な存在として、全国にその名を轟かせてきた帝京高校が今、苦しんでいる。前述したように選手権予選では5年連続で優勝を逃しており、これは同校が第39回大会で初めて全国大会への出場権を獲得して以降、最も長いブランクということになる。
「寂しいという気持ちが一番ですよね。母校を倒してやろうという思いでずっとやってきたし、誰よりも母校に頑張ってもらいたいと思っているし、ここからもう1回立て直して黄金期を創ってもらいたいですね」と母校の現状を憂いたのは、この冬に全国出場を果たした指揮官の中では唯一の“帝京OB”である日章学園(宮崎)の早稲田一男監督。その早稲田とは同期に当たり、第82回大会の東京都予選決勝で母校を倒して全国初出場を勝ち獲った成立学園(東京)の宮内聡総監督も、「古沼(貞雄)先生に目の前で『チクショー』と言われましたからね」とその一戦を笑って振り返りながら、「僕らの頃は本当に『上まで行ってやるぞ』という選手が多かったから意識は非常に高かったし、負けるなんてことは絶対に考えられない世界の中で、なおかつ一番良いサッカーをやってやろうと思っていましたから、現状に寂しさはありますね」と複雑な心境を打ち明ける。
転機となった古沼監督の勇退
古沼監督(写真)の勇退後、帝京は全国の舞台で勝てなくなった 【写真:山田真市/アフロ】
帝京が手にした全国制覇のすべてをベンチで経験した古沼監督の勇退が、同校の転機となったのは言うまでもない。それは松本暁司監督の浦和南(埼玉)、横森巧監督の韮崎(山梨)、勝沢要監督の清水東(静岡)、そして小嶺忠敏監督の国見(長崎)など、一時代を築いた高校の盛衰を見ても、1人の指揮官による影響力は一目瞭然である。とりわけ近年はサッカーに力を入れる私学も全国中に増えてきており、名門校が名前だけで勝てる時代は過去のものになりつつある。
そんな現状の中で、横森監督を招聘(しょうへい)して選手権初出場初優勝を成し遂げた山梨学院(山梨)や、小嶺総監督の下で3年連続となる全国出場を果たしている長崎総科大附属(長崎)、古沼がアドバイザーとしてベンチに腰を下ろした矢板中央(栃木)や帝京長岡(新潟)が、そろって近年の選手権で結果を出していることも、名将と呼ばれる指揮官たちが選手を発掘するネットワークも含めて、今でも的確な指導力を発揮していることの証明だろう。