“苦しむ名門”帝京サッカー部の現状 選手権の舞台に返り咲く日を目指して
「今の子は負けていく帝京しか見てない」
かつては選手権の舞台で無類の勝負強さを誇った。しかし、現在の選手たちはその頃の姿を知らない 【写真は共同】
ただ、その年の選手権予選は初戦から大苦戦。後半アディショナルタイムまでリードを許しながら、土壇場で同点ゴールをたたき込み、延長戦の末に薄氷の勝利を挙げた試合後、荒谷監督が口にした言葉が印象深い。
「今は練習着に“帝京魂”なんてワッペンを付けているけど、そもそもそれは我々が言い出したことではなくて、相手チームやお客さんが言ってくれたことであって、それを文字にしたり言葉に出すなんてことはあえてしなかったはずなんです。伝統というのは受け継がれていくもので、途切れてしまったらゼロなんですよ。全国大会だって2年出なかったら初出場と同じ。昔の帝京みたいに何年かに1度は選手権やインターハイを落としても、必ずそういう姿を見ている子たちが上級生になって、その見本をまた下級生が見るというのがあったけど、今の子は負けていく帝京しか見たことがないですからね」
その口調にはかつてのようにはいかない現状を冷静に捉えつつ、それでも母校を何とかしたいという強い思いがにじみ出ていた。
最後の日本一を知る若き指揮官とともに
帝京は選手権の舞台に返り咲くことはできるのか。『カナリア軍団』の帰還を多くのファンが待っている 【スポーツナビ】
「僕らスタッフができることと言えば、彼らと一緒にボールを蹴って、最後まで腹を割って話せるようになること。『昔は俺たちは強かったんだよ』なんて言っても、彼らは生まれてないですから。プレッシャーはあるけど失うものはないし、子供たちから『帝京に来て良かった』と思われるような学校にならないといけないですよね」
柔和な笑顔を見せた青年監督の姿に、これから訪れるであろう数々の困難へ立ち向かう覚悟が垣間見えた。
童謡『かなりや』に、「唄を忘れた“かなりや”は 象牙の船に銀の櫂(かい) 月夜の海に浮かべれば 忘れた唄を思い出す」という歌詞がある。今の『カナリア軍団』は、月夜の海に浮かべるものを持ち合わせていないのかもしれない。それでも、忘れたのならば自ら思い出せばいい。知らないのならば自ら覚えればいい。全国を震撼させた『カナリア軍団』が最後の選手権の日本一を知る若き指揮官に導かれ、立つべき舞台で再び美しい唄を奏でる日を、多くの高校サッカーファンが待っている。