“苦しむ名門”帝京サッカー部の現状 選手権の舞台に返り咲く日を目指して

土屋雅史

「今の子は負けていく帝京しか見てない」

かつては選手権の舞台で無類の勝負強さを誇った。しかし、現在の選手たちはその頃の姿を知らない 【写真は共同】

 12年、2年連続で冬の選手権を逃していた帝京は、9年間指揮を執っていた廣瀬龍監督の退任を受け、古沼監督の下でコーチとして主に戦術面を担当し、第73回大会(94年度)では監督としてチームを全国準優勝に導いた荒谷守氏が約10年ぶりに現場復帰。コーチ陣にも黄金期を知る顔ぶれが名前を連ね、新体制で再出発を図ることになった。

 ただ、その年の選手権予選は初戦から大苦戦。後半アディショナルタイムまでリードを許しながら、土壇場で同点ゴールをたたき込み、延長戦の末に薄氷の勝利を挙げた試合後、荒谷監督が口にした言葉が印象深い。

「今は練習着に“帝京魂”なんてワッペンを付けているけど、そもそもそれは我々が言い出したことではなくて、相手チームやお客さんが言ってくれたことであって、それを文字にしたり言葉に出すなんてことはあえてしなかったはずなんです。伝統というのは受け継がれていくもので、途切れてしまったらゼロなんですよ。全国大会だって2年出なかったら初出場と同じ。昔の帝京みたいに何年かに1度は選手権やインターハイを落としても、必ずそういう姿を見ている子たちが上級生になって、その見本をまた下級生が見るというのがあったけど、今の子は負けていく帝京しか見たことがないですからね」

 その口調にはかつてのようにはいかない現状を冷静に捉えつつ、それでも母校を何とかしたいという強い思いがにじみ出ていた。

最後の日本一を知る若き指揮官とともに

帝京は選手権の舞台に返り咲くことはできるのか。『カナリア軍団』の帰還を多くのファンが待っている 【スポーツナビ】

 14年、帝京に新たな風が吹き込んだ。前年に荒谷監督からチームへ招かれ、1年間の指導実績を積んだ日比威コーチが監督へと昇格する。その名前に見覚えのある方もいるだろう。松波正信や阿部敏之を擁し、四日市中央工(三重)と両校優勝を飾った第70回大会(91年度)で帝京のキャプテンを務めていた男が、新指揮官として母校を率いることになったのだ。就任直後の4月に話を伺った際、日比はこう話していた。

「僕らスタッフができることと言えば、彼らと一緒にボールを蹴って、最後まで腹を割って話せるようになること。『昔は俺たちは強かったんだよ』なんて言っても、彼らは生まれてないですから。プレッシャーはあるけど失うものはないし、子供たちから『帝京に来て良かった』と思われるような学校にならないといけないですよね」

 柔和な笑顔を見せた青年監督の姿に、これから訪れるであろう数々の困難へ立ち向かう覚悟が垣間見えた。

 童謡『かなりや』に、「唄を忘れた“かなりや”は 象牙の船に銀の櫂(かい) 月夜の海に浮かべれば 忘れた唄を思い出す」という歌詞がある。今の『カナリア軍団』は、月夜の海に浮かべるものを持ち合わせていないのかもしれない。それでも、忘れたのならば自ら思い出せばいい。知らないのならば自ら覚えればいい。全国を震撼させた『カナリア軍団』が最後の選手権の日本一を知る若き指揮官に導かれ、立つべき舞台で再び美しい唄を奏でる日を、多くの高校サッカーファンが待っている。

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著者プロフィール

1979年8月18日生まれ、群馬県出身。高崎高3年時にインターハイでベスト8に入り、大会優秀選手に選出される。2003年に株式会社ジェイ・スポーツへ入社。サッカー情報番組『Foot!』やJリーグ中継のディレクター、プロデューサーを務めた。21年にジェイ・スポーツを退社し、フリーに。現在もJリーグや高校サッカーを中心に、精力的に取材活動を続けている。近著に『高校サッカー 新時代を戦う監督たち』(東洋館出版社)がある。

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