本田圭佑に訪れている新たな正念場 3試合連続ノーゴール、薄れてきた存在感

神尾光臣

「本田はどこへ行った?」

ミランはパレルモに敗れ、これで3試合勝利なし。本田もノーゴールに終わり、途中交代を告げられた 【Getty Images】

 ミランがホームで2点のビハインドをつけられたパレルモ戦の後半23分、最後の交代選手としてジャンパオロ・パッツィーニが交代出場の準備を整えた。そして第4審判が掲げたボードの番号は10番。開幕から7試合6ゴールというペースで得点を奪っていた本田圭佑は、これで3試合連続でノーゴールとなった。

「本田はどこへ行った? 5試合ぐらい存在感が現れていたが、なんだか最近は姿を消しているなあ」。試合後のミックスゾーンで、地元記者の一人が冗談交じりにこう言う。もっともこれだけ急激に点を取り始めた選手を、他チームだって警戒しないわけがない。フィオレンティーナ、カリアリ、そして2日の第10節で対戦したパレルモ。彼らは目下リーグ1の得点力を誇っているミラン(編注:第9節終了時点まで)と、そのトップスコアラーとなっていた本田について対策を施し、彼らを自由にプレーさせないサッカーをしてきたのだ。

 まずは10月26日に対戦したフィオレンティーナ。「(フィリッポ)・インザーギは天才的な発想で本田を使いこなしている。彼はちょっと厄介な存在になっている」。試合前にそう語ったビンチェンツォ・モンテッラ監督は、左サイドバック(SB)のマルコス・アロンソに密着マークをさせて動きを封じた。右SBイニャツィオ・アバーテとの連係もボルハ・バレロのプレスで阻害し、本田が彼にボールを預けてポジションを移すための前提条件をつぶした。

 攻撃的サッカーを信条とするズデネク・ゼーマン監督が率いるカリアリとの試合(10月29日)では、特にマンマークが用意されるようなことはなかった。だがその代わり、守備では本田の動くスペースが緊密なゾーンディフェンスで消された。さらには左SBのダニロ・アベラールを積極的に攻めさせ、本田を自陣に押し込み守備に忙殺させることで、彼をゴールから遠ざけた。

チャンスに絡んだのはプレースキックのみ

 そして今回のパレルモ戦。選手としても監督としても、プロビンチャ(地方クラブ)で守備的なサッカーに慣れていたジュセッペ・イアキーニ監督は、さらに徹底した守備戦術を用意して、ミランそして本田の良さをピッチで消しにかかったのである。

「ミランは現在、リーグでもっとも点を取っているチーム。彼らの戦術的なストロングポイントはポゼッションと同時に、サイドのFWが中へと絞ってSBをオーバーラップさせ、サイドで数的優位を築いてくることにある。そんな彼らに、足元でパスを回させてはいけない。我々はそのための戦術的なプランを立て、練習を積んできたのだ」

 具体的にはこういうことだ。まずFW2人とインサイドMFは、ナイジェル・デ・ヨングとセンターバック(CB)2名に対し、しっかりとフォアプレスをかける。ミランのパスワークの出発点となるのは彼らであり、ここにプレッシャーをかけることでパスワークは阻害。本田をはじめとしたFW陣は、満足な形でボールを受けることができなくなるのだ。

 当然、パスの受け手となるFWにも、常に人を付けて自由を奪う。右ウイングを務める本田に対しては、まず彼がライン際に張った時には左ウイングバックのアシュラフ・ラザールをはり付ける。一方で中に絞ってポジションを取った時には、3バックの左を務めるシニサ・アンデルコビッチにマークをスイッチ。ボールを持っていない時もその動きから目を離さず、絶対にフリーでボールを受けさせないようにする。そしてひとたびボールが渡れば、他のMF陣も協力して寄せ、必ず複数で挟み込む。

 こうして本田は、序盤からプレーの自由を奪われた。エリア内にもサイドにもスペースはなく、パスの出しどころに困ればバックパスに逃げざるを得なくなる。動いたところでマークも振り切れないから、味方もパスが出せない。そうなれば、プレースキックからチャンスに絡むほかはない。16分、ジェレミ・メネスが倒されて左サイドでFKを得る。これを本田は、左足で鋭いボールを放ち、ニアのフェルナンド・トーレスの頭に合わせた。しかし彼の強烈なヘッドは、ゴール右下隅をわずかにかすめた。

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著者プロフィール

1973年9月28日、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語イタリア語学科卒。97年の留学中にイタリアサッカーの熱狂に巻き込まれ、その後ミラノで就職先を見つけるも頭の中は常にカルチョという生活を送り、2003年から本格的に取材活動を開始。現在はミラノ近郊のサロンノを拠点とし、セリエA、欧州サッカーをウオッチする。『Footballista』『超ワールドサッカー』『週刊サッカーダイジェスト』等に執筆・寄稿。まれに地元メディアからも仕事を請負い、08年5月にはカターニア地元紙『ラ・シチリア』の依頼でU−23日本代表のトゥーロン合宿を取材した。

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