福島をひとつにする存在でありたい=J2・J3漫遊記 福島ユナイテッド<前編>

宇都宮徹壱

いわきのホームゲーム開催に秘められたもの

盛岡に1点リードされた福島は、終盤に前線の人数を増やして反撃を試みるものの手痛い敗戦 【宇都宮徹壱】

 率直に言えば、試合そのものは「凡戦」としか言いようがなかった。福島県いわき市で9月21日に開催された、J3リーグ第26節、福島ユナイテッドFC対グルージャ盛岡の試合は、後半8分の盛岡のセットプレーから高瀬証が押し込み、結局これが決勝点。福島は後半34分に田村翔太、そして44分に時崎塁と相次いでFWの選手を投入するも、追いつくことができずに0−1で終了のホイッスルを聞くこととなった。

「復興支援スペシャルマッチ」と銘打たれた、共に東北の被災地をホームタウンとするダービーマッチ。当該サポーターにとっても、われわれメディアの人間にとっても、非常に期するものが多かったはずだ。しかし、「ハードワークと球際をしっかりやりながらチャンスを生かす」(鳴尾直軌監督)という明確なテーマを持った盛岡に対して、ホームの福島はほとんどの場面で受け身に回ってしまい、シュートもわずかに4本にとどまってしまった(盛岡は14本)。これで福島は6月8日のブラウブリッツ秋田戦(1−0)を最後に未勝利が続き、この敗戦で順位をひとつ落として8位となった。

「今日の試合は盛岡さんに終始ペースを握られ、ウチはなかなか押し返せずにセットプレーでやられてしまいました。打開策が見つからず、1対1でもセカンドボールの反応でも相手を上回れず、試合の流れを変えることができなかった。自分の責任を感じます」

 今季からチームを指揮する栗原圭介監督は、本当に申し訳なさそうな表情でこう語った。現役時代はヴェルディ川崎やベルマーレ平塚(いずれも当時)、ヴィッセル神戸などでプレー。昨年、S級ライセンスを取得して、初めてトップチームの指揮を執ることになったのがJ3の福島であった。とりあえず降格のリスクはなく、サポーターからも「ブレずにやっていこう!」と励まされているとはいえ、ここまで勝利から遠ざかると指揮官の忸怩(じくじ)たる思いは募るばかりであろう。そんな中で収穫があったとすれば、いわき市で初めて福島のホームゲームが行われたことであった。クラブ代表の鈴木勇人は、その理由をこのように説明する。

「いわきでのホームゲーム開催は、地域リーグ時代にもなかったんですよ。福島のサッカーといえば、今なら尚志高校とか富岡高校が有名ですが、少し前でしたら小中高はいわきがサッカーどころでした。サンフレッチェ広島の高萩洋次郎も、こっちの出身です。それとウチの場合、『福島さんって、福島市のクラブでしょ?』って言われることが多いんですけど、『ユナイテッド』というクラブ名にしているとおり、福島をひとつにする存在でありたいと思っています。その意味で、今日のいわきでのゲームはその第一歩をしるすことができた。本当は皆さんに笑顔で帰っていただければ、もっとよかったのですが」

「ユナイテッド」に込められた願い

野口英世をあしらった福島サポーターのゲートフラッグ。野口の生地、猪苗代町は会津に位置する 【宇都宮徹壱】

 全国47都道府県の中で3番目に大きな面積を誇る福島県は、大きく3つの地域に分かれている。すなわち、太平洋に面した浜通り(いわき市、相馬市など)、阿武隈高地と奥羽山脈の間に位置する中通り(福島市、郡山市など)、そして越後山脈と奥羽山脈に挟まれた会津(喜多方市、会津若松市など)である。明治初期、浜通りは磐前(いわさき)県、中通りは福島県、そして会津は若松県と異なる県として区分されていたが、1876年(明治9年)に第2次府県統合により、3つの県は福島県に統合されて今に至っている。

 福島のサポーターは、多少のばらつきはあるものの、出身は浜通りだったり中通りだったり会津だったりする(もちろん県外から応援に駆けつける者もいる)。しかし、それぞれの地域の地理的・文化的距離感については、誰もが認めるところであった。いわく「浜通りと中通りとでは、言葉も生活習慣も違いますね。同じ浜通りでも、相馬といわきとでは、これまた違いがあるんですよ」。いわく「そもそも3つの地域を横断しようという発想がないです。同じ県内でも、ちょっとした旅行感覚ですよね」。いわく「会津に住んでいると、山道が雪で埋もれて中通りに行けなくなるんです。ですから雪が溶けるまで、みんなとは会えないんですよ(笑)」。

 なるほど、社長の鈴木が言う「福島をひとつにする存在でありたい」という思いは、こうした地理的・文化的な距離感を考えれば大いにうなずくことができる。しかし、そうした状況に加えて福島は、なかなかひとつになれない、さらに深刻な宿痾(しゅくあ)を背負うことになった。言うまでもなく、3年半前の東日本大震災を起因とする原発事故の影響である。あるサポーターは、やや聞き取りにくいイントネーションで、こう打ち明けてくれた。

「同じ被災者でもよ、原発からどんだけ離れていたかとか、子どもが(震災当時)18歳より上か下かで、補償の額がぜんぜん違ってくるのよ。『あの家ではいくらもらっている』とか、『新しい家が買えたんだと』とか、そういう話はけっこう聞くよ」

 震災以降、国内世論は原発推進と反原発の分断が常態化しているが、被災県である福島でも、被災状況や保障の額によって人々の間に見えない壁があちこちに生じていることを実感する。「福島をひとつにする存在でありたい」というクラブ立ち上げの理念は、3年半前の震災と原発事故によって、さらなる重みを増すこととなった。「被災地のクラブ」という十字架は、今なお関係者の肩にずっしりと食い込んでいる。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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