6試合4ゴールとブレイク中の本田圭佑 監督のノウハウと練習態度が結果に現れる

神尾光臣

チーム1の得点頭となった本田

6試合4ゴールと現時点でチーム1の得点頭として成長した本田 【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】

 4日に行われたセリエA第6節ミランvs.キエーボ戦(2−0)の後半36分、交代要員としてアンドレア・ポーリがピッチの中央に立った。予備審判のボードが差した番号は10番、本田圭佑である。その3分前に見事な直接FKでゴールを挙げた彼がベンチに呼ばれると、サン・シーロのファンはスタンディングオベーションで彼を迎え入れた。

 ずいぶんな変わりようである。ほんの少し前までこのスタンドからは、試合前のメンバー発表の時点でブーイングが上がっていたのだから。しかし昨シーズンは14試合1得点とファンの期待値を大きく下回る成績を残した本田は、6試合4ゴールと現時点でチーム1の得点頭として成長し、周囲は彼を認め始めている。

「まったく別の選手になった。良く走れているし、当たりにも耐えるようになった」と辛口の地元記者は言う。「フォーリクラッセ(規格外の選手)ではなく、一昔前のミランなら確実にベンチだ。でも調子のいいことは否定できない」と懐疑的なファンも一定の評価を下す。アドリアーノ・ガッリアーニ副会長は「一月に寄越されたのは本田の“兄弟”で、われわれがクレームを出したところ夏にやっと本物が来た」などと冗談めかして笑っていた。

 いずれにせよ、本田は昨シーズンから劇的な変化を果たしたことは確かだ。そして夏の時点でこの変身を予想していたものは、一部の関係者を除きイタリアにはいなかった。

転機となった監督交代

本田の姿勢を高く評価するインザーギ監督(写真左)の元、大きく開花することになった 【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】

 ブラジルワールドカップ参戦のため本田が日本代表に招集され不在だった6月、ミランでは大きな人事の変化があった。クラレンス・セードルフ監督が解任され、12年に現役引退後下部組織でコーチを務めていたフィリッポ・インザーギがトップチームの監督に就任したのである。

 これは、本田にとってマイナスに働くと思われていた。4−2−3−1の右サイドハーフで縦の上下動を求められる慣れない役割ではあったものの、本田はセードルフ監督のもとでスタメンの座を得てはいた。しかしその彼は、イタリア人選手を中心とした複数の選手たちと折り合いが悪かったことを理由に監督の座を追われる(そして違約金を巡りクラブと法廷で争う模様)。

 一方の新監督は「私のもとではすべての選手は横一線でスタートしてもらう」と宣言。そしてシステムも、新エースとなるステファン・エル・シャーラウィの突破力を生かす4−3−3に変更した。トップ下のポジションはそこにない。7月末のチーム合流後、本田はとりあえず右FWとして起用されることになるが、地元メディアは「暫定的なもの。チームが新たにウイングを獲得すれば彼は戦力外になる」と報じていた。

 しかし「このポジションで本田は生きる」と声高に主張しているものが一人だけいた。他ならぬインザーギ監督である。休養を取って疲労を抜くことも含めて、チーム合流までに体を作り直し練習に臨んだ本田の姿勢を指揮官は高く評価。そして「右に配置し、このサイドとは逆足となる左でゴールを意識させれば、多大な貢献を果たしてくれるはずだ」と戦術上の構想を描いた。

 果たしてその通りに、ミランの10番は得点力を開花させることになった。

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著者プロフィール

1973年9月28日、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語イタリア語学科卒。97年の留学中にイタリアサッカーの熱狂に巻き込まれ、その後ミラノで就職先を見つけるも頭の中は常にカルチョという生活を送り、2003年から本格的に取材活動を開始。現在はミラノ近郊のサロンノを拠点とし、セリエA、欧州サッカーをウオッチする。『Footballista』『超ワールドサッカー』『週刊サッカーダイジェスト』等に執筆・寄稿。まれに地元メディアからも仕事を請負い、08年5月にはカターニア地元紙『ラ・シチリア』の依頼でU−23日本代表のトゥーロン合宿を取材した。

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