6試合4ゴールとブレイク中の本田圭佑 監督のノウハウと練習態度が結果に現れる

神尾光臣

再生の鍵は動きの変化

サイドから中へ絞る動きで得点機を多く生み出すことに成功した 【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】

 ブレイクの兆候を示しはじめたのは、開幕1週間前の親善試合ユベントス戦。味方が左サイドを破るのに合わせて右サイドから中へ絞り、巧みな動きでDFの視野から逃れてフリーでポジションを確保する。利き足の左はゴールへと正対、そして逆サイドから渡って来たボールを受け、ダイレクトでシュートを決めた。

 得点に向かう一つの形を会得した本田は、この勢いをそのまま公式戦へと持ち込んだ。右足、頭と部位は違うが、似たような形でマークを外し、相手ゴールを陥れている。開幕のラツィオ戦(3−1)では、左サイドでエル・シャーラウィがドリブル突破を仕掛けたのに合わせて激走。6、70メートルの距離を走った後に右足でシュートを放っている。第2節のパルマ戦(5−4)では、右サイドのスペースを空けてサイドバックのイグナツィオ・アバーテを上がらせ、中央へ走り込んで右クロスをヘッドで合わせた。第3節(vs.ユベントス/0−1)ではジャンルイジ・ブッフォンに至近距離でセーブされたものの、やはり外から中へと走ってマークを外す動きでジョルジョ・キエッリーニのマークを逃れ、左からのアーリークロスを頭で合わせている。

 こうなれば、4−3−3の右であろうと4−2−4の右であろうと、変わらずにサイドから中へと絞ってゴールへと絡む。4節のエンポリ戦(2−2)ではフェルナンド・トーレスが空けた前線のスペースへ入り込み、アバーテからのパスを受けて正確なミドルシュートを突き刺している。

「本田はサイドを開けてくれるようになったので、自分もとても動きやすくなった」とアバーテは連係の向上ぶりについても言及している。ゴールを意識させることで、プレー全般にキレが蘇る。現役時代のインザーギはポジション取りの巧みなFWだったが、下部組織で指導していた時代も念入りにスペースを使う動きを若手に教え込んでいた。いわば本田の再生は、インザーギが現役の頃から培ったノウハウの延長上にあったというわけだ。

ゴールを意識したもう一つの理由

インザーギ監督がセットプレー専門コーチを付けて磨いた本田のプレースキック。その成果が、キエーボ戦でゴールとして現れた 【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】

 さらにインザーギは、自らが招へいしたセットプレー専門コーチを付けて本田のプレースキックも磨かせていた。そして第5節チェゼーナ戦(1−1)ではCKからのアシスト、キエーボ戦では直接FKのゴールと結果も出た。見違えるようにフィジカルコンディションも向上しているし、コーチングスタッフがいかに重要な仕事を本田に施していたかがよく分かるというものである。

 だがインザーギは、キエーボ戦後の記者会見で「いや、すべては本田一人の功績だよ」と言い切った。

「技術的なことももちろん、態度の上でも素晴らしいものを私に見せてくれている。練習には2時間前に来て、2時間後に帰るんだ。本田の意欲は旺盛で、そのことに私はとても満足している。そしてこの素晴らしい資質は、彼が練習合流直後から見せていたものだ。『彼の獲得は失敗だった』などとレッテルも貼られていたが、そういった連中にリベンジを果たしているという意味でも胸が空く思いだ。シーズンはまだまだ長いが、見通しは非常に明るいものになったね」

 ゴールを意識することを糸口にミランで再生を果たした本田だが、その背後にはわれわれも良く知っている人物のアドバイスもあったようである。一般紙『ラ・レプッブリカ』のステファーノ・スカッキ記者は、こんなエピソードを明かした。

「(アルベルト・)ザッケローニ監督にこの間取材をしたんだ。そうしたら本田の話になって、こういうことを言っていた。『私はケイスケがセリエAでもたくさんゴールを決められるはずだと思っていた。アシストで実績を残すこともいいのだが、やはりゴールをもっと意識して欲しいと、そう彼にも伝えた』ということだ」

 セリエAに挑んだ外国人の攻撃的プレーヤーは、ゴールを意識することでリーグに順応し、ブレイクに成功した。少し前のミランで言えばアンドリー・シェフチェンコやカカがそうだが、そういう意味では本田も同様の成長プロセスを辿りだしたということか。6試合で4ゴール。現実にはペースダウンも経験するだろうが、仮にこのまま進めばシーズン終了時には24ゴールに到達してしまう。ともかくインザーギの言う通り、2年目の見通しは明るいものになってきた。

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著者プロフィール

1973年9月28日、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語イタリア語学科卒。97年の留学中にイタリアサッカーの熱狂に巻き込まれ、その後ミラノで就職先を見つけるも頭の中は常にカルチョという生活を送り、2003年から本格的に取材活動を開始。現在はミラノ近郊のサロンノを拠点とし、セリエA、欧州サッカーをウオッチする。『Footballista』『超ワールドサッカー』『週刊サッカーダイジェスト』等に執筆・寄稿。まれに地元メディアからも仕事を請負い、08年5月にはカターニア地元紙『ラ・シチリア』の依頼でU−23日本代表のトゥーロン合宿を取材した。

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