「ラトゥの息子」が加わった大東大
個性豊かな集団でラグビー界に旋風を

80年代に吹き荒れた「トンガ旋風」

今春、大東大に入学したクルーガー・ラトゥ。日本代表でも活躍したシナリ・ラトゥ氏の息子である。
今春、大東大に入学したクルーガー・ラトゥ。日本代表でも活躍したシナリ・ラトゥ氏の息子である。【向風見也】

 2014年5月24日の朝日新聞の夕刊で、解体される東京・国立競技場の集客数のトップ10が表にされていた。1964年の東京オリンピックの開会式と閉会式や、サッカーのペレの引退親善試合などがランクインするなか、「10位」は……。


「日本選手権決勝 大東文化大vs.神戸製鋼 1989年1月15日 6万1105人」


 バブル経済下、大東大ラグビー部は栄華の時を迎えていた。


 80年にノフォムリ・タウモエフォラウとホポイ・タイオネ、85年にはシナリ・ラトゥ、ワテソニ・ナモアとトンガ人留学生が相次ぎ加入。特に日本代表のNo.8(ナンバーエイト)だったラトゥは86、88年度と全国大学選手権で優勝を果たした。「10位」のゲームでは、後に7連覇を達成する神戸製鋼に17対46と屈するも、ジャージの色や中心選手の迫力にちなんで「モスグリーン旋風」、「トンガ旋風」との見出しが躍った。


「やってきたことが評価される。こんな名誉なことはないよな。これ、久々の自慢の材料だね」


 当時の監督だった鏡保幸は、記事の切り抜きを衣服のポケットに忍ばせている。御年64歳、能弁。喋っているうちに核心を突くところが、この人にはある。


「すべては学生のおかげ。でも、しょうがないよね、俺もそこにいたんだから」

春季大会では得点力の高さを発揮

 2014年7月某日、埼玉県東松山市である。赤茶色のレンガ造り、打ちっぱなしのコンクリート、ガラス張りと時代性の違った建物が混在するキャンパスと道路を挟んで向かい側。栄光時代の土のグラウンドには、人工芝が敷かれている。


 1981年から2001年までの在任期間で3度の大学日本一に輝いた鏡は、大学側からの要請を受け13年春に現場復帰。特別顧問となった。


「どこの世界でも、結果が出ないと評価につながらない。1億2000万人、皆が頑張ってる。頑張ってるのを評価したら、何だか分からないもんね。勝って成り上がるしかない」


 鏡はまず、国内きっての強豪であるパナソニックでストレングス&フィットネスコーチだった青柳勝彦監督を招へいした。所属の関東大学リーグ戦1部で下部との入替戦に一昨季までの過去5年間で3度出場と低迷していたクラブは、昨季、3位に浮上した。特に青柳監督が「場慣れしてきた」と見るシーズン終盤からは、連勝を重ねていた。


 新体制下の2シーズン目の春季大会では、関東大学対抗戦とリーグ戦の上位3チームが属する「グループA」に参加する。選手権5連覇中の帝京大に0対67、選手権最多優勝回数を誇る早稲田大には35対69と大敗するなど5戦2勝も、1試合平均得点は37.6だった(得点は6チーム中3位)。才気が集っているからだ。

向風見也
向風見也

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。

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