「ラトゥの息子」が加わった大東大 個性豊かな集団でラグビー界に旋風を
80年代に吹き荒れた「トンガ旋風」
今春、大東大に入学したクルーガー・ラトゥ。日本代表でも活躍したシナリ・ラトゥ氏の息子である。 【向風見也】
「日本選手権決勝 大東文化大vs.神戸製鋼 1989年1月15日 6万1105人」
バブル経済下、大東大ラグビー部は栄華の時を迎えていた。
80年にノフォムリ・タウモエフォラウとホポイ・タイオネ、85年にはシナリ・ラトゥ、ワテソニ・ナモアとトンガ人留学生が相次ぎ加入。特に日本代表のNo.8(ナンバーエイト)だったラトゥは86、88年度と全国大学選手権で優勝を果たした。「10位」のゲームでは、後に7連覇を達成する神戸製鋼に17対46と屈するも、ジャージの色や中心選手の迫力にちなんで「モスグリーン旋風」、「トンガ旋風」との見出しが躍った。
「やってきたことが評価される。こんな名誉なことはないよな。これ、久々の自慢の材料だね」
当時の監督だった鏡保幸は、記事の切り抜きを衣服のポケットに忍ばせている。御年64歳、能弁。喋っているうちに核心を突くところが、この人にはある。
「すべては学生のおかげ。でも、しょうがないよね、俺もそこにいたんだから」
春季大会では得点力の高さを発揮
1981年から2001年までの在任期間で3度の大学日本一に輝いた鏡は、大学側からの要請を受け13年春に現場復帰。特別顧問となった。
「どこの世界でも、結果が出ないと評価につながらない。1億2000万人、皆が頑張ってる。頑張ってるのを評価したら、何だか分からないもんね。勝って成り上がるしかない」
鏡はまず、国内きっての強豪であるパナソニックでストレングス&フィットネスコーチだった青柳勝彦監督を招へいした。所属の関東大学リーグ戦1部で下部との入替戦に一昨季までの過去5年間で3度出場と低迷していたクラブは、昨季、3位に浮上した。特に青柳監督が「場慣れしてきた」と見るシーズン終盤からは、連勝を重ねていた。
新体制下の2シーズン目の春季大会では、関東大学対抗戦とリーグ戦の上位3チームが属する「グループA」に参加する。選手権5連覇中の帝京大に0対67、選手権最多優勝回数を誇る早稲田大には35対69と大敗するなど5戦2勝も、1試合平均得点は37.6だった(得点は6チーム中3位)。才気が集っているからだ。