ホンジュラスの忘れてはいけない負の歴史 ナショナリズムを反映したサッカーと戦争

池田敏明

世界史にも残った大事件!

W杯の常連になりつつあるホンジュラス。しかし、過去にはサッカーが引き金となり、戦争となった負の歴史がある 【写真:ロイター/アフロ】

 サッカーは時として、選手、観衆や関係者、そして国の運命を大きく左右することがある。今回ワールドカップ(W杯)が行われるブラジルでは今から64年前、一つの試合が4人の命を奪った。ブラジルがウルグアイに敗れて2人が自殺、2人がショック死した「マラカナンの悲劇」である。ライバルチームを応援する者同士が発砲事件を起こしたり、選手や指導者が凶弾に倒れたりといった事件も毎年のように発生している。

 その中でも、最も大きな事件――サッカー史のみならず、世界史に残ってしまうような大事件――に発展したのが、1969年7月に発生したホンジュラスとエルサルバドルの間の戦争、通称“サッカー戦争”だ。

 ネーミングだけを見て勘違いしていただきたくないのだが、ホンジュラスとエルサルバドルはサッカーの試合だけをきっかけとし、突発的に戦争を始めたわけではない。両国は国境を接しており、元々、さまざまな問題を抱えていた。それらが試合で爆発する形となったのだ。

一触即発の両国がW杯予選で激突

 1900年代初頭以来、ホンジュラスはエルサルバドルから数十万人規模の移民を受け入れていた。しかし69年4月の農地改革法の実施によって、彼らは本国への帰還を余儀なくされる。その強制的な手法はエルサルバドル側の怒りを買うものだった。また、ホンジュラスは工業化の面でエルサルバドルに大きく後れを取っており、国内にあふれるエルサルバドル産の製品へ不満を募らせていた。加えて、国境付近ではボーダーラインを巡って何度も衝突を繰り返しており、まさに一触即発の状態だった。

 そんな中で行われたのが、70年のW杯メキシコ大会の北中米カリブ地区予選準決勝、ホンジュラス対エルサルバドル戦だ。サッカー人気の高さも影響して、両国の国民はこの試合にナショナリズムを投影させた。試合はホーム&アウェーで行われたのだが、アウェーチームの宿泊するホテルをホーム側のファンが取り囲み、夜を徹して罵声を浴びせたり、投石したりと、あらゆる嫌がらせを行った。

 2002年W杯日韓大会、続く06年W杯ドイツ大会予選の大陸間プレーオフで、ウルグアイのサポーターがオーストラリア代表に同様の仕打ちをしていることからも分かるとおり、この行為自体は中南米諸国ではそれほど珍しくはない。しかし、この時は「母国の代表を勝たせたい一心」よりも「相手国憎し」の感情が強かった。サポーター同士の乱闘事件も各地で発生し、エルサルバドルで試合が行われた際には、ホンジュラス人サポーター2名が暴行の被害を受けて亡くなっている。

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著者プロフィール

大学院でインカ帝国史を研究していたはずが、「師匠」の敷いたレールに果てしない魅力を感じて業界入り。海外サッカー専門誌の編集を務めた後にフリーとなり、ライター、エディター、スペイン語の翻訳&通訳、フォトグラファー、なぜか動物番組のロケ隊と、フィリップ・コクーばりのマルチぶりを発揮する。ジャングル探検と中南米サッカーをこよなく愛する一方、近年は「育成」にも関心を持ち、試行錯誤の日々を続ける

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