早くも窮地に追い込まれたポルトガル ドイツに大敗も、夢はまだ終わっていない

市之瀬敦

予想通り「いつもの」スタメン

予想外の大敗に、うなだれるロナウド。負傷の影響からか本来の実力を発揮できなかった 【写真:ロイター/アフロ】

 見るからに頑固者、と言ったら失礼になるのだろうか。それなら、ぶれない指導者と呼ぶことにしようか。2010年秋からポルトガル代表を指揮するパウロ・ベント監督は、先発メンバーの選考にかなり保守的な顔をのぞかせる。

 今から2年前の6月、ユーロ(欧州選手権)2012でポルトガルにとって最後のゲームとなった準決勝のスペイン戦。ポルトガルはGKにルイ・パトリシオ、DFにジョアン・ペレイラ、ブルーノ・アウベス、ぺぺ、ファビオ・コエントラン、MFにラウル・メイレレス、ミゲル・ベローゾ、ジョアン・モウティーニョ、FWにナニ、ウーゴ・アウメイダ、そしてクリスティアーノ・ロナウドというスタメンであった。ところが興味深いことに、昨年11月、ワールドカップ(W杯)予選プレーオフのスウェーデンとの第2戦でも、全く同じ先発イレブンをピッチに送り出しているのである。

 長いシーズンを終え5月末に代表合宿に合流したロナウドの調整は別メニューが長引き、強化試合も欠場する状態が続いた。ポルトガル国民だけでなく、世界中のサッカーファンが彼のけがの回復具合にヤキモキしたが、米国合宿の打ち上げ直前に実施されたアイルランド戦には先発で出場。いつものダッシュ力は鳴りを潜めていたが、痛みを残しながらも、なんとか本番に間に合うことを印象づけた。ロナウドと同様、調整の遅れが懸念されたぺぺやコエントランも起用できるとなれば、ベント監督は昨年11月のプレーオフと同じスタメンをドイツにぶつけてくるのではないかと予想することができた。

 さて、ポルトガルは06年W杯で開催国ドイツと3位決定戦で対決し、1−3で敗れている。さらに08年(2−3)および12年(0−1)のユーロでも対戦し、やはりドイツサッカーの効率の前に屈している。ポルトガルの国内、国外を問わず、どの国のメディアの予想を見ても、いくら「世界一の選手」(ロナウド)がいてもサッカーはチームスポーツであり、やはり過去の実績から見てもドイツが有利との声の方が高く、ポルトガル代表の苦戦は免れないと思われた。

 それはベント監督も承知の上で、選手たちには団結心と感情のコントロールを求めていた。一方で、世界最優秀選手がいるからといって世界王者になる必要はない、目標はグループリーグ突破であると述べ、選手たちからプレッシャーを取り除こうと配慮していた。対するドイツのヨアヒム・レーブ監督は、「我々の優先項目は決勝まで行くこと。その後はタイトルを取ることを考える」と、かなり強気の姿勢を見せていた。

 試合開始の約1時間15分前に発表されたポルトガル代表のスタメンを見ると予想通り、「いつもの」メンバーであった。GKにパトリシオ。DFにJ・ペレイラ、ペペ、B・アウベス、コエントラン。MFはモウティーニョ、ベローゾ、メイレレス。FWはナニ、H・アウメイダ、そしてロナウド。2年前のユーロ開幕戦、やはりドイツとの対戦の先発メンバーと比べると、FWのH・アウメイダとエルデル・ポスティガの名前が入れ替わっているだけで、清々しいくらい、サプライズのないスタメンであった。

悪い癖を露呈したペペ

 ポルトガル代表の先発メンバーには錚々(そうそう)たる名前が連なる。GKのパトリシオは国内組だが、それ以外の選手たちは誰もが欧州の有名クラブに所属している。ドイツ代表に気後れする必要のない面々である。だが、このチームはどうしてもロナウドの出来、不出来に依存してしまう。ロナウド依存症とは言わないまでも、ポルトガル代表と言えば「ロナウドとその仲間たち」という感は否めないのだ。

 ポルトガルの立ち上がりは悪くはなかった。ドイツに押し込まれたところもあったが、8分にはフィリップ・ラームからベローゾがボールを奪い、左サイドで待っていたロナウドにパス。そのままドリブルを仕掛け、左足で強烈なシュートをドイツゴールに向かって見舞った。だが、世界一の選手の前には世界一のGKマヌエル・ノイアーが立ちはだかった。もしこのチャンスを生かしていたらゲームの流れは変わっていたかもしれないが、ときどき見せた足技や試合終了間際のFKを除いてロナウドが輝くことはなかった。そして、ポルトガル代表も……。

 12分にはさっそくゲームが動いた。エリア内でJ・ペレイラがマリオ・ゲッツェを倒してしまい、PKを与える。この日のミュラーは最初から最後までパトリシオを容赦することはなく、冷静に決めた。25分にはナニの惜しいミドルシュートがあったが、32分、ドイツのCKで試合はほぼ決まってしまった。ぺぺがマッツ・フンメルスをマークしきれず、高い打点でのヘディングゴールを許してしまったのである。ペペのミスもそれだけなら許されただろうが、5分後、接触プレーの後、審判の目の前でミュラーの頭に頭突きを見舞ってしまい、一発レッド! W杯史上、退場処分を受けた5人目のポルトガル人選手となってしまった。感情を抑えきれないペペの悪い癖が出た瞬間であった。そのとき、審判の背後でメイレレスが卑猥(ひわい)なジェスチャーを両人差し指を使って見せていたのだが、そちらは幸い(?)、審判の目には入らずに済んだ。

 その後、ポルトガルは負傷でH・アウメイダを失うだけでなく(代わってエデル投入)、前半終了間際にまたしてもミュラーにゴールを割られてしまう。0−3。おそらくは世界中の誰も予想しなかったスコアで前半の45分間が終わった。

 後半、ベント監督はベローゾに替えて、センターバックのリカルド・コスタを投入。4−3−2の布陣を敷いた。エデルとロナウドの2トップである。ロナウド+1という2トップはベント監督の作戦の中にはあったはずだが、その後方が3枚の中盤というのは想定していなかったのではないか。試合巧者のドイツは無理をせず、ゲームをコントロールし、ときどきポルトガルゴールを脅かし続けた。そして、78分、アンドレ・アウメイダのポジショニングのミスをついたアンドレ・シュールレが低いクロスを中央に入れると、パトリシオがファンブル。待ちかまえていたミュラーが大会最初のハットトリックを決めた。私くらいの年齢のサッカーファンは「爆撃機」(編注:70年代の西ドイツ代表ストライカー、ゲルト・ミュラーの愛称)という言葉を思い出してしまうのではないか。そして、ポルトガルの息の根は完全に止められた。

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著者プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』によって洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガル・サッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニホームを着るクラブが多い。サッカー関連の代表著書に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)。『砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール』。『ポルトガル語のしくみ』(同)。近著に『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(ぎょうせい)

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