プランデッリの策がはまったイタリア ポゼッションに磨きをかけた新布陣

神尾光臣

試合開始前は『悲観論』が支配していたが……

 W杯ブラジル大会のグループリーグ初戦、イングランドを2−1で退けたイタリア代表。大会前はプランデッリ監督率いる代表チームに対する悲観論も漂っていた 【写真:ロイター/アフロ】

 6日、イタリア代表がローマからキャンプ地のリオデジャネイロ近郊へと飛んだ時、国内では明らかに『悲観論』が支配していた。

 4年間、チームの主軸として活躍していたMFリッカルド・モントリーボが左足脛骨(けいこつ)を骨折し、直前で代表を離脱。なんとか長期に渡る故障から復帰したFWジュセッペ・ロッシもコンディション不良とみなされ招集外となり、これもまた物議をかもした。

 しかも――イタリア代表にとっては大会前の恒例ではあるが――アイルランド戦(0−0)、ルクセンブルグ戦(1−1)と直前のテストマッチは結果も内容もぱっとしなかった。

 それらのテストマッチでは、リーグ戦では調子の安定しないFWマリオ・バロテッリを1トップにし、しかも他にFWを置かず5人の中盤で固めるという布陣もテストされている。
「代表だから応援はするが、クオリティーに欠ける選手ばかり呼びやがって。絶対さっさと負けるに決まってる……」。2012年のEURO(欧州選手権)準優勝に導いたことも忘れて、チェーザレ・プランデッリ監督に不満の声を上げるファンは少なくなかった。

 初戦で当たるイングランドは早くから母国を離れて合宿を張り、気候対応に余念がなかった。それなのにプランデッリ監督はみっちり練習を組み、出国の直前まで体を追い込ませている。「クアリタ(質)を重視する」と公言し、パスサッカーの構築を目指したプランデッリ監督らしいアプローチだが、昨季のコンフェデレーションズカップの日本戦(4−3)では選手たちも息絶え絶えになっていた姿も思い出す。

 それに加え、初戦の会場となるマナウスのアレーナ・アマゾニアのピッチコンディションは劣悪だという情報まで入る。さらに13日には、プランデッリがベンチマークとしていたはずのスペインがオランダに1−5と大敗。愚直にポゼッションサッカーの実現を目指すのも、果たしていかがなものかという印象もあった。

2枚のレジスタを置き、パスサッカーにこだわる

 しかしイングランド戦は、そのポゼッションの強みを生かして勝利した。相手のプレスを空転させ、サイド攻撃への形も作らせず、最終的には体力面でのアドバンテージさえ残す秘訣ともなったのである。

 この日プランデッリ監督がピッチに送り込んだのは、直前のテストマッチで試されていた新布陣だ。バロテッリを1トップに置き、中盤に多めの人数を割く。しかもバロテッリを前線でフォローするのは直前で代表に復帰したFWアントニオ・カッサーノでもなければ、ウイングのFWアレッシオ・チェルチでも、若きファンタジスタのFWロレンツォ・インシーニエでもない。

 MFクラウディオ・マルキージオはゴール前への飛び出しやミドルシュート、またMFアントニオ・カンドレーバはサイドアタックからの正確なクロスという武器を備えるが、彼らにはやはり中盤の“汗かき役”というイメージが強い。

 そういう構成で中盤の運動量を重視しているのも、中央にはいわずと知れたMFアンドレア・ピルロと、パリ・サンジェルマンで成長中の若手MFマルコ・ベラッティの両レジスタを同時起用しているせいでもあるのだろう。
 しかもピルロは中盤の底ではなく、一列前で使う(アンカーはMFダニエレ・デ・ロッシ)。ただこれだけパスワークにこだわった布陣は、直前のテストマッチである種の機能不全もさらしていた。それぞれボールをつなぐのはいいが、逆にゴール前に飛び出して行く選手が少なくなってしまう。ボールはキープしても、チャンスはなかなか作れなかった。

1/2ページ

著者プロフィール

1973年9月28日、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語イタリア語学科卒。97年の留学中にイタリアサッカーの熱狂に巻き込まれ、その後ミラノで就職先を見つけるも頭の中は常にカルチョという生活を送り、2003年から本格的に取材活動を開始。現在はミラノ近郊のサロンノを拠点とし、セリエA、欧州サッカーをウオッチする。『Footballista』『超ワールドサッカー』『週刊サッカーダイジェスト』等に執筆・寄稿。まれに地元メディアからも仕事を請負い、08年5月にはカターニア地元紙『ラ・シチリア』の依頼でU−23日本代表のトゥーロン合宿を取材した。

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント