本田圭佑がミランで直面する厳しい現実 求められる結果、忍耐の時期は続く

神尾光臣

主役の座とはほど遠いところに……

慣れないポジションでの起用もあり、ミランで苦戦する本田。忍耐の時期が続いている 【Getty Images】

 ミランの10番は、蚊帳の外だった。先発のトップ下は本来ボランチの若手、2列目の左右も衰えたとはいえチームのレジェンドと、移籍後3試合で2ゴールを挙げた選手に取られる。ようやく出場したのは0−2とされた後半の途中から。しかし、流れを変えてチームを反撃へと導くことはできなかった。ユベントス戦で本田圭佑は、主役の座とはほど遠いところにいた。

「ミランは試合を支配するべきチーム。我々がボールや相手の背中を追いかけるようなサッカーをしてはならない」と語ったクラレンス・セードルフ監督は、地元メディアに『4−2−“ファンタジア”』とも称された攻撃的なシステムを採用し、その中で「クオリティーのある選手」として本田を積極的に起用していた。しかし就任から1カ月、彼はフィットまでに至らず、そしてこの大一番でスタメンからも外されてしまう。その要因とは一体何だったのか、どういう事情が影響しているのか。そして今後はどんな展開が彼を待ち受け、どういう課題を克服していかなければならなくなるのだろうか。

サイドで輝きを放つターラブト

 本田はここまで、立場上においても、またチームの戦術面においても“定位置”を獲得できてはいなかった。起用されるのは4−2−3−1の右サイドだが、ゴールに直結するようなシュート、またアシストなどそのポジションからは繰り出せずにいた。

 カリアリ戦は3度の決定機を外したものの、サイドから中へと入ってパスを引き出す動き自体は秀逸だった。周囲がその動きを理解し連係が習熟すれば、機能しそうな期待はあった。ところが、マニアックなまでに守備を徹底するイタリアでは、各チームも手早く対策を打った。ベローナにトリノ、またボローニャと、本田封じはほぼパターン化されていった。左利きであるため、右でボールを持つと利き足はゴールへと向く。つまりその動きさえ封じれば、縦へのスピードはないから怖くはない。次から次にそんな対策をとられた本田は、ガチガチに寄せられる中でパスも回せない。そのうち、時間を掛ければ今度はホームの観客から「遅い!」とばかりにブーイングが飛ぶ。それでもサンプドリア戦はイニャツィオ・アバーテと良い連係を見せ、サイドチェンジなど右サイドを起点としたチャンスメイクを繰り出してはいた。それでも、直接ゴールを脅かすというインパクトには乏しかった。

 本田が手こずる一方で、サイドで輝きを放つ新加入選手がいた。それがモロッコ代表MFのアデム・ターラブトだ。元QPRのオーナーであるフラビオ・ブリアトーレから強烈な勧めを受け、アドリアーノ・ガッリアーニ副会長が獲得を決めたというファンタジスタ。ただ、本田同様に「トップ下が得意」と語る彼は、本田にはないスピードと突破力を備えていた。デビューのナポリ戦でゴールを決めた彼は、続く試合でも積極的なチャレンジを続け、瞬く間にサポーターの人気者となっている。

 サイドのプレーで比較される対象が現れ、そこからさらにメディアの間で本田の評価は下がる。それでも、セードルフ監督は彼を得意なトップ下で起用する決断をしなかった。就任してからしばらくはカカ。もっとも「システムとはあくまで守備においてのもので、選手は攻撃の際、自由に動くものだ」と語るセードルフの頭の中では、2列目の3人は流動的に動くため、スタートポジションこそ右寄りだが本田も一応「トップ下の一人」と考えられていたようである。だが2月19日に行われたチャンピオンズリーグのアトレティコ・マドリー戦以降、その考え方にも変化が見られるようになった。

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著者プロフィール

1973年9月28日、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語イタリア語学科卒。97年の留学中にイタリアサッカーの熱狂に巻き込まれ、その後ミラノで就職先を見つけるも頭の中は常にカルチョという生活を送り、2003年から本格的に取材活動を開始。現在はミラノ近郊のサロンノを拠点とし、セリエA、欧州サッカーをウオッチする。『Footballista』『超ワールドサッカー』『週刊サッカーダイジェスト』等に執筆・寄稿。まれに地元メディアからも仕事を請負い、08年5月にはカターニア地元紙『ラ・シチリア』の依頼でU−23日本代表のトゥーロン合宿を取材した。

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